平壌のバス停でバスを待つ女性と男性。2017年7月撮影 (Photo credit should read ED JONES/AFP via Getty Images)
【米国思想リーダー】

中国で横行する北朝鮮女性の人身売買や性犯罪=脱北者パク・ヨンミさんインタビュー(5/6)

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北朝鮮が飢餓に苦しむ1993年、パク・ヨンミさんは生まれた。食糧を求めて、13歳の時、母親と共に凍った川を泳ぎ中国へ脱出。しかし、中国では人身売買や性犯罪に直面する。キリスト教宣教師の助言を経て、モンゴルのゴビ砂漠を越え、韓国に渡った。


中国を渡ろうと決意した当時のことを、ヨンミさんは語る。

もう食べ物が底をつき、最後の手段でした。大脱走を計画していたわけではありません。私は世界地図を見たこともありませんでした。学校にインターネットはありません。外の世界が一体どうなっているのか、知る術もありません。夜、中国からの灯りが見えて…灯りのあるところに行けば、何か食べ物があるだろうと思ったのです。  

北朝鮮体制は思考や言葉、飢えをコントロールし、人々の全てを破壊しても、不思議なことに、他の独裁や共産主義政権のように子供を親から引き離し、家族をバラバラにするような政策を取っていない。ソ連やヒトラー政権時代のドイツは、子供は保育所や託児所に長い間預けられ、親たちは革命運動に動員された。ヨンミさんを含め、脱北者の話では家族が自身の子供を助けていた話がある。


ヨンミさんによれば、北朝鮮政権もまた、初期は家族を解体させることを試みていたという。しかしソ連が崩壊したのち、飢饉が訪れ、体制のイデオロギーは弱体化したという。

教師たちは飢えて、路上で死んでいました。毎日多くの人が路上で死に絶え、誰が死んだのかさえ把握できない状態でした。川には人が浮かんでいました。駅では食べ物を探す人々がうろつき、路上で死んでいきました。共食いもありました。北朝鮮では「すぐ戻ってくるよ」と言って家を出た人と、二度と会えなくなることも日常茶飯事でした。

政権にとっては混沌とした時代でした。私は1993年生まれですが、当時は飢饉の真最中でした。多くの人が亡くなりました。当時は、政権のイデオロギーがかなり弱くなってきた頃です。

このころ、人々の間で闇市が広がった。市場は違法行為で処刑のリスクもある。しかし、食料配給が止まり、ほとんど生き延びる手段はない北朝鮮の人々にとって、選択肢は残されていなかった。


お金はとても恥ずかしいものと思われています。北朝鮮において「利益」という言葉は、悪魔であり、資本主義的だと理解されています。しかし、飢饉をきっかけに、人々は闇市に参加するようになりました。人々は上着を売ってトウモロコシを買おうとしたのです。ある意味、これは国家からの独立を学ぶ良い機会だったと言えます。  

中国に逃れることに成功し、食料を手にしたヨンミさんたち。しかし、そこでも脱北者など弱い立場にある人々をターゲットにした、中国全土に広がる人身売買や性犯罪に直面した。

一人っ子政策の中国では、多くの女の子が堕胎され、80年代生まれ以降の男女比はいびつだ。統計によれば1.3対1ともいわれてる。数千万人の若い中国人男性は妻を見つけられない。ヨンミさんによれば、現在中国には約30万人の北朝鮮人が身を潜めており、ほとんどが女性で、99%が人身売買の被害者だという。

北朝鮮の人々は中国で非常に弱い立場にある。中国政府は北朝鮮の脱北者を見つけ次第、強制送還する。彼らは難民として認められない。その立場の弱い北朝鮮女性を、人身売買業者は利用しているという。

人身売買業者は、私たちが中国の警察を最も恐れているのを知っています。警察に捕まったら、強制送還されるからです。ですから業者は私たちに「いつでもお前を殺せるぞ」「お前たちは豚以下だ」と言い続けるのです。

北朝鮮の人々は奴隷や売春、ギャングに売られ、臓器を摘出される人もいます。何十万人もの人々が中国で囚われています。このような奴隷制度が21世紀に起きているのです。誰もこの問題について触れないことに、ショックを受けています。

ヨンミさんによれば、中国にはならず者の組織形態があるという。ヨンミさんと母親は中国にたどり着くと、人身売買業者によって、それぞれ別々に売られた。

中国に残りたいなら、奴隷として売られなければならない、と言われました。母は100ドル以下の65ドルくらいで、私は200ドル以上で売られました。人身売買業者に売られたとき、私は自殺したいと思いました。知り合いと引き離され、北朝鮮にいた時よりも抑圧されていました。

自殺を決意した時、ヨンミさんを買った人身売買業者が「自分の愛人になれば、お前の家族を救ってやる」と言ったという。ヨンミさんが条件を受け入れると、業者は両親を連れ戻した。

ヨンミさんは、地獄のような生活から離れる方法を模索した。中国である脱北者と知り合いになり、宣教師のシェルターに通った。聖書を読み、神やイエス・キリストの話を教わったという。信仰心をみてとった宣教師は、ヨンミさんたちに韓国へ渡る方法を指南した。しかし、その方法は、一歩間違えば死に至るような究極の選択だった。

宣教師は、中国から逃げたければ手にコンパスを持ち、凍ったゴビ砂漠を歩いて渡りなさい、と言いました。夜にはマイナス40度になり、地図もない状態で、砂漠を越えられる可能性は非常に低いのです。彼らも戻れる保証がないので一緒に来ません。ただコンパスを持って、砂漠の西と北の間を行きなさい、と言われました。砂漠の真ん中で、私は北の星を追いかけ、自由に繋がることを祈りました。私は多くの奇跡を見てきました。

ヨンミさんは、支援者が用意した偽の書類を提出し、韓国に渡ることに成功した。


(つづく)

(アメリカ思想リーダー「North Korean Defector Yeonmi Park on Communist Tyranny and ‘the Suicide of Western Civilization’」より)