「解放」の美名を冠した軍隊 

2022/08/07
更新: 2022/08/07

大変(たいへん)とは、もとは程度のひどさを表す副詞ではなく、「天下を揺るがす一大事」を意味する名詞である。
 

「1976年」が再来するか?

46年前のことである。中国にとって1976年という年は、それを総括する言葉が見つからないが、ともかく大変な1年になった。

年明け間もない1月8日に周恩来が死んだ。7月6日には「建軍の父」と称される朱徳が死ぬ。7月28日に唐山大地震発生。9月9日に毛沢東が死ぬと、翌10月6日に毛の跡を継いだ華国鋒によって「四人組(四人幇)」が逮捕され、10年の混乱を招いた文化大革命が実質的に終息した。

江青、張春橋、姚文元、王洪文。ともかく、この4人が悪いのだ!」。そういう結論に無理やりにでもしなければ、多い数字としては2千万とも言われる犠牲者を出した文革の収まりがつかなかった。なにしろ犠牲者の死に方がひどい。その多くが、若い紅衛兵による年長者への惨殺であった。

スターリンは53年に死去した。その時代の極度な個人崇拝を是正するため、フルシチョフが、いわゆる集団指導体制のなかで「スターリン批判」をしたのは3年後の56年である。

文革を発動した人物は劉少奇から権力奪還を狙う毛沢東に他ならないが、死後わずか1カ月の毛沢東に対して文革の責任を追及し直接的に批判することは、毛沢東の従僕のような華国鋒に、この段階でできるはずもない。

まして中国という東洋世界で、一時は神格化された毛沢東である。究極的には、今日の天安門に巨大な肖像画が掲げられているように、中国共産党が完全に崩壊消滅したときにこそ、毛の肖像画も引き下ろされるだろう。

その後に、群がる中国民衆によって肖像画が切り裂かれるか否かは、今のところ分からない。ただ、歴史の先例にならうならば、ソ連崩壊時に引き倒され、足蹴にされたレーニン像のような運命になる可能性が高いのではないか。

2022年の半ばまで歴史を刻んだ現代の中国に、再び「1976年の大変」が来るだろうか。
それはむしろ、「来ないという保証はない」と考えるべきであろう。
 

「八一」は無謀な蜂起

文革初期の1967年、朝鮮戦争において数々の武功を挙げた中国軍の猛将であり、初代国防部長でもあった彭徳懐(ほうとくかい)が、紅衛兵の暴行を受けて重傷を負う。

このとき彭は69歳ぐらいであった。階級は元帥である。その建国の功労者に対して、肋骨2本が折れるほどの暴行を加えた紅衛兵は、文革の狂気にとりつかれた10代の少年たちであった。1959年の廬山会議において、彭徳懐が私信というかたちで毛沢東に穏やかな意見を述べたところ、毛の不興をかったことが原因だった。

その後、直腸がんになった彭徳懐は、窓が密閉されて屋外が見えない病室に監禁されたまま、まともな治療は一切受けられず、1974年に76歳で死ぬ。まさに虐待死だった。

中国の「建軍の父」ということになっている朱徳(しゅとく)は、今から95年前の1927年8月1日、江西省南昌で手勢をかき集めて武装蜂起する。

要するに、国民党軍の一部が反乱を起こして「共産党側へ寝返った」ということである。中国共産党は後日、これを南昌起義と呼び、「八一」という建軍記念日にした。

朱徳のあとにも反乱軍は複数続いたが、いずれも国民党軍の追撃に持ちこたえられるほどの実力はなく、散り散りになった。朱徳の率いる部隊も、なんとか毛沢東の井崗山革命根拠地へたどり着くという有様だった。

いずれにしても、長い逃避行を「長征」と呼ぶなど、中国共産党の定めるところの記念日や歴史的事項は、かなり美化または功績を誇張しているというしかない。「八一」もかなり無謀な蜂起であったが、象徴的事象としては、成功したことにするしかないだろう。
 

「解放」という名目の侵略軍

「中国人民解放軍」は実質的に中国の国軍であるが、中国共産党(中共)の軍隊である。したがって、中共の根幹となる思想から絶対に離れることはできない。

中共は、共産主義という悪魔思想が根幹にあるため、いつの時代になっても恐るべき本質をもつ。ただ、外向けには実に巧妙なプレゼンテーションに長けており、ころりと相手を篭絡するのである。

これには昔の日本人、例えば50年前に中国語を学んだ学生も(それを教えた日本人教師も)見事に騙された。なにしろ党是の一つは「人民に奉仕する(為人民服務)」。軍の規律正しさは「三大規律八項注意(3つの規律と8項の注意)」である。

歯の浮くような美辞であるが、それを聞いた中国好きの日本人でさえ、本当にそうだと心酔させられた。

確かに、一部にはそういう良質な面もあった。
「ゴロツキばかりの国民党軍や、野獣のようなソ連兵に比べて、八路(パーロ)の軍紀は最高だった」という中国残留経験をもつ日本人の話を聞いたことがある。中国革命が農村を基盤とするものであった以上、その軍隊は、農民の前で「解放の救世主」を演じる必要があったからとも言える。

ただ、それはそれとして、その後のこの軍隊が「人民解放軍」の美名にふさわしいかどうかは十分に検証されるべきであろう。

50年代に本格化するチベット侵攻で、この「解放軍」は恐るべき侵略軍となった。
チベットの民兵も、少数ながらゲリラ戦で必死の抵抗を見せた。そのこともあって中国軍は狂い、殺戮に走った。その結果、どれほどのチベット女性が残虐な暴行を受けて殺され、どれほどの僧侶が見せしめに公開処刑されたか知れない。

文革中の南モンゴルでも、中国軍による大虐殺があった。殺されたモンゴル人は30万人とも言われる。いずれにせよ、これらを中共は「解放」と称している。

1979年には、20万の大軍をもってベトナムに侵攻したが、寡兵ながら実戦経験が豊富なベトナム軍から手痛い反撃を受けて逃げ帰っている。

そのときも、「カンボジアに侵攻したベトナムが悪い。中国はそれを膺懲(ようちょう)したのだ」として、あくまで中国の正当性を主張した。カンボジアといえば、このときは中共が支援するポル・ポトによる恐怖政治の最中だった。
 

六四」の惨劇のなかで

それでも、この「人民解放軍」は、人民にとっての善者を演じ続けた。
中国の(とくに北京の)一般市民に中国軍が恐るべき本性を現し、実弾発砲というかたちで牙をむくのは、やはり1989年の六四天安門事件であっただろう。

「六四」の詳細については多数のレポートがあるので、ここでは省略するが、一つだけ、「50%の可能性がある」という事象について指摘しておきたい。

「50%の可能性」とは何か。それについて直接的な確認は現時点ではとれないが、中国共産党のもつ悪魔性からして「排除できない可能性」ということである。それ以上の検証は、後の歴史においてなされるだろう。

あの「六四」のとき。つまり6月3日深夜から翌4日未明までの間に、北京市内の各所では「人民解放軍による人民への攻撃」で流血の大惨事となった。

そのようななか、逃げ遅れた兵士がいた。その兵士は「激高した市民に捕まって、腹を裂かれた。遺体はガソリンで焼かれ、崇文門の陸橋に吊るされた」という。

亡くなった兵士には気の毒としか言いようがないが、確かに、黒焦げの遺体が陸橋に吊るされているすさまじい映像が、日本のテレビのニュースにも映った。

「六四」に至るまでの数カ月、もとは学生中心の民主化要求運動であった。彼らは天安門広場で決死のハンガーストライキを実行するなどをしたが、暴徒ではなかったのだ。

確かにあの夜、興奮した市民は一部にいただろう。それにしても、兵士を殺して腹を裂き、焼いて吊るすほど狂気的な行為を、いったい誰が、なぜ、何のために行ったのか。

それによって軍隊が、いよいよ本格的に報復してくることは眼に見えているではないか。
 

「仕込み」を多用する常套手段

ここで、中国共産党がやることとして想像すべきは、「暴徒とみられる群衆のなかに、その役目の者が、仕込まれていた可能性」である。他例ながら、これには多くの傍証がある。

2008年、北京五輪まえの聖火リレーで、トーチを持った女性ランナーに「チベット人の扮装をした男」が襲い掛かった。この男がヤラセの「演者」であったことを、当時の大紀元がスクープで伝えている。

2005年、2010年、あるいは2012年などに中国の複数の都市で頻発した「反日デモ」は、暴徒化した市民が「中国人が経営する日本料理店」を破壊するなど、制御不能のレベルまで達した。中国政府は、いずれも「責任は日本側にある」と言った。

実は、あの群衆のなかに「私服の公安関係者」が仕込まれていて、暴徒がさらに過激化するよう扇動していたと言われている。日本人には理解しがたい内部闘争の一端だが、胡錦涛総書記に敵対する江沢民派が、自身の支配下にある公安組織を使ってやらせたもので、その主な目的は「胡錦涛の対外的な顔をつぶすこと」だという。

さらに、究極的な実例として、2001年1月23日に天安門広場で起きた「法輪功学習者による焼身自殺事件」がある。

それが、中共の自作自演であることは言うまでもない。
むしろその点にこそ、法輪功のありもしない「猟奇性」を捏造することで中国国民と世界を騙そうとする、中共の恐るべき謀略が浮き彫りになるのである。

 

中共の本質を知る必要性

先の「六四」に話を戻す。
事件後の日本で、筆者に向かい「あの場合、武力鎮圧やむなし!」を絶叫するように主張していた、ある中国人留学生のすさまじい形相を思い出す。

その留学生は若くはなく、中年にちかい女性だったが、中共党員である彼女の主張の根拠となったのが、まさに「橋から吊るされた兵士の無残な遺体」であった。

ただ、中国共産党の底知れぬ悪魔性を想起したとき、その悲しむべき遺体が、「武力鎮圧の正当性を演出するために吊るされたものではないか」という疑念は、どうしても排除できない可能性として残るのである。

今年も、中国の建軍記念日「八一」は過ぎた。

一般論として、軍人が名誉ある職業の一つであることは否定しない。ただし今後、中国人民解放軍という名の「中共の軍隊」が、何を命じられて動き、どのように中共と運命をともにするのか。彼らが「解放」の名目で台湾に銃口を向けるならば、対岸の日本としても予断を許さない「天下大変」となるだろう。

中国共産党の本質を徹底的に知ることにより、そこに見えてくる真実がある。
例えばそれは、中共が、悠久の中国を継承するに値する政権ではないことである。

鳥飼聡
二松学舎大院博士課程修了(文学修士)。高校教師などを経て、エポックタイムズ入社。中国の文化、歴史、社会関係の記事を中心に執筆・編集しています。
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