2025年4月22日午後、中国浙江省金華市の蘇孟小学校前で、暴走車が児童とその保護者の列に突っ込む事件が発生した。
当局は依然として詳細を公表せず、メディアによる関連報道もないこの事件に、学校側は、関係者にスマホ撮影動画削除を命じ、ネット上の言論も厳しく検閲されているが、「事件の真相」と「犯行動機」は、人づてに静かに伝えられていた。
それによると、死者は14人で、犯行に及んだのは、事件が起きた小学校に通っていた子供の母親であり、事件の背景には、深刻な学校でのいじめ問題、学校や当局による被害者家族に対する弾圧などがあったという。
加害者の母親は、学校でいじめを受けた我が子のために、学校に抗議をしたが、逆に学校が呼んできた公安によって、7日間拘束された。母親が公安に逮捕された知らせを聞いた子は自殺をし、母親は、釈放後にわが子の死を知った。怒りと絶望の末、彼女は車で学校前に突入するという形で「自らの手による制裁」を選んだという。
昨年11月19日、湖南省常徳市にある永安小学校の前でも、同様の児童を狙った暴走車による社会報復事件が発生しており、数十人が死傷したとされる。加害者は、校内のいじめによって睾丸を深刻に傷つけられた子(9歳)の父親だった。
「親の肩書でランク付け」 中国学校の見えざるカースト制度
中国の一部学校では、入学時の調査票に、保護者の職業や役職を書く欄が設けられていて、これは表向き「教育支援のため」とされるが、実態は、教師側が生徒を序列化する材料として使うケースがある。
また、教師の日(中国の「教師節」)の際に、保護者が贈るプレゼントや「紅包(賄賂)」の額で、教師の態度が変わるという現実も、一部の現場では公然の秘密となっていた。
こうした不透明な「教育格差」の中で、後ろ盾を持たない庶民の子供たちは、理不尽な扱いやいじめに晒されても訴えることができない。
これは、単なる個別の不正ではなく、構造的問題である。つまり、本来平等であるべき学びの場が、階級社会の縮図となっており、逆に弱者を追い詰める場へと変質してしまっていた。
窒息するような閉塞感の中、庶民の子供たちは、常に「見えない格差」と戦いながら生きているのだ。

──いじめはなぜ見て見ぬふりされるのか
そのため、学校内でのいじめが発覚しても、加害者側が、権力や地位を背景に持つ家庭の子供の場合、多くの教育機関や当局は「穏便に」処理する道を選ぶ。逆に、庶民の家庭が声を上げれば、学校側は「学校の面子を潰した」として圧力を加え、教育委員会や地元警察も「安定維持(維穩)」の名のもとに問題の火消しを優先し、抗議者は「治安攪乱者」にされ、加害者には、往々にして正当な調査や処罰は行われない。
こうした構造の中、不条理に直面した被害者家庭は孤立し、体制を批判すれば「過激分子」や「国家転覆罪」に問われかねない。また、陳情制度は機能せず、訴えても返って報復される。人々は「最後の選択肢」として暴力に手を染めるしかなくなったのだ。
「無関係な人を巻き込むな。怒りをぶつけるなら政府へ行け」 こうした社会報復事件が起きるたび、ネット上で繰り返されるこの言葉は、体制に抗議するすべを失った庶民の叫びだ。
抑圧された人々の怒りは、やがては社会への「制裁」という形で爆発する。中国で頻発する社会報復は、個人の狂気ではなく、国家によって正義を奪われた末路なのだ。

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