孔子が諸国を巡った「本当の理由」  論語の真義 学而編10

2026/08/09
更新: 2026/08/09

【原文】

子禽(1)問於子貢(2)曰:夫子(3)至於是(4)也,必聞其政,求之與,(5)與之與?」子貢曰:「夫子溫、良、恭、儉、讓(6)以得之。夫子之求之也,其諸(7)異乎人之求之與?」

 

【注釈】

(1)子禽(しきん):姓は陳(ちん)、名は亢(こう)、字(あざな)は子禽。孔子の弟子である。

(2)子貢(しこう):姓は端木(たんぼく)、名は賜(し)、字は子貢。

衛(えい)の国の人で、孔子より31歳年下、紀元前520年生まれとされる。

子貢は弁舌に優れ、孔子は彼なら大国の宰相を務めることができると評価した。

『史記』によれば、子貢は衛の国で商売を営み、名高い富豪となった。

(3)夫子(ふうし):古代における敬称の一つで、本来は大夫の職に就いたことのある人に対する呼び名であった。

孔子はかつて魯の国で司寇(司法長官)を務めたことがあったため、弟子たちは孔子を「夫子」と呼んだ。

後には、「夫子」は教師に対する敬称として広く用いられるようになった。

『論語』に出てくる「夫子」は、いずれも孔子を指して弟子たちが用いた呼び方である。

(4)邦:当時の諸侯国を指す。

(5)抑:選択を表す文語の接続詞で、「それとも」「あるいは」という意味である。

(6)温・良・恭・倹・譲:温和、善良、恭敬、質素、謙譲を意味する。

これらは孔子の弟子たちが孔子をたたえて用いた言葉である。

(7)其諸:語気を和らげる助詞で、「おそらく」「あるいは」といった意味を表す。

 

【訳文】

子禽が子貢に尋ねた。

「先生は、どこの国へ行っても、その国の政治について必ず尋ね、事情を知るようにしておられます。

しかも、どの国でも手厚く礼遇されています。

それは、その国に何かを求めておられるからでしょうか。

国君から官職や利益を得ようとしておられるのでしょうか。

それとも、その国に何らかの教えや指導を与えようとしておられるのでしょうか」

子貢は答えた。

「先生は、温和で、善良で、礼儀正しく、質素で、しかも謙虚なお人柄です。

だからこそ、どこの国でも厚く礼遇され、人々は喜んで先生を迎え、政治について教えを請うのです。

その結果として、先生は自然に各国の政治事情を知ることになるのです。

先生の目的は徳による政治を広めることにあります。

ですから、先生が求めておられるものが私利私欲であるはずがありません。

先生のお求めになるものは、世の人々が求めるものとは、まったく異なるのでしょう。」

 

【解説】

子禽の疑問――孔子はなぜ各国の政治を尋ねたのか

これは『論語』「学而篇」第十章である。

ここでは、孔子が諸国を巡遊するたびに、その国の政治についてさまざまな方法で尋ね、理解しようとしていたことが語られている。

そこで、この二人の弟子による問答が生まれる。

子禽は思わず子貢に尋ねた。

「夫子至於是邦也,必聞其政,求之與? 抑與之與?」この一句は一般には、

「先生はどこの国へ行っても、その国の政治事情を必ず知ることができる。それは先生が自ら尋ねて知るのか、それとも人々の方から進んで先生に教えるのか。」という意味に解釈されることが多い。

つまり、孔子がどのように各国の政治情報を得ていたかを説明するものと理解されているのである。

しかし、実際にはそうではない。

このような解釈は、あまり合理的とは言えない。

子禽が本当に知りたかったのは、なぜ自分の先生がこれほど各国の政治に関心を寄せるのか、その根本的な目的は何なのか、ということであった。

もし目的が官職を得ることにあったならば、諸国を巡ることも、結局は諸侯への売り込みにすぎず、政治事情を尋ねる目的も他の人々と変わらないことになる。

しかし、孔子の生涯全体を踏まえ、さらに『学而篇』の前九章を振り返ってみれば、ここでいう「聞其政」は、国君に徳による政治を勧め、天下を教化し、人々の心を正しい道へ導くためであったことが分かる。

それこそが孔子の生涯を貫く志であり使命であり、教育を行い、弟子たちを率いて諸国を巡った根本の目的だったのである。

思い出してほしい。

『学而篇』の冒頭には、「学びて時にこれを習う、また説ばしからずや」とある。

ここでいう「習」とは、文化的知識を繰り返し復習することではなく、「実践」を意味する。

学ぶことの根本の目的は、知識を増やすことではなく、徳を修め、道理を明らかにすることにある。

だからこそ、その後には孝悌・忠信・慎み・誠実が次々に説かれているのである。

一見すると日常の倫理について語っているように見えるが、実際にはすべて同じことを説明している。

すなわち、本当の学びとは徳を養うことであり、それは人との接し方をはじめ、あらゆる実践の中で具体的に行われなければならないということである。

孝悌・忠信を守ることも、家庭を治め、国を治めることも、すべては徳を養うための実践にほかならない。

したがって、孔子のいう「学」は、決して功績を立てたり、名声や利益を得たりするためのものではない。

徳のある人間になるための学びなのである。

そのため、前章である第九章では、曾子がさらに、「慎終追遠、民徳帰厚矣」

と述べている。

ここでは視野が、一人の修身から社会全体へと広がっている。

そして、君子が徳によって天下を教化するという志が示されているのである。

「慎終」とは、徳を修めることは終始一貫して続けなければならないという戒めである。

「追遠」もまた、単に祖先を祭ることではなく、祖先や聖賢が残した徳と教えを絶えず思い起こし、人としての根本を忘れないことを意味している。

これは一人の人間についても、一つの家庭についても、一つの国家についても同じである。

人々が皆、自らの根本と源を敬うならば、社会の風俗は自然に誠実で厚みのあるものとなる。

ここで初めて、『学而篇』の極めて重要な目標が示される。

それは、「民徳帰厚」、すなわち民の徳を厚くすることである。

だからこそ、第十章では自然な流れとして、この子禽と子貢の対話が置かれているのである。

その目的は、孔子がいかにして天下を教化するという使命を実践したかを示すことにある。

このように考えて子禽の問いを改めて見るならば、彼が本当に知りたかったのは、先生がどのように政治事情を知ったかではない。

先生はなぜそれほど政治を気にかけるのか、その理由だったのである。

 

孔子の求めるものは、自分のためか、それとも天下のためか

孔子が『詩経』を整理したのは、人々の心を正すためであった。

『書経』を整理したのは、政治の道を明らかにするためであった。

『礼』を整えたのは、人々の行いを正すためであった。

『春秋』を著したのは、善悪を明らかにするためであった。

そして後に諸国を巡ったのも、富や地位を求めるためではなかった。

礼楽を回復し、徳による政治を広め、乱れ衰えていた人々の心を再び仁義へと立ち返らせたいと願ったからである。

だからこそ、孔子が一国の政治事情を知ろうとしたのは、自らの知識欲を満たすためでもなければ、利益を求めるためでもなかった。

その国がどこに問題を抱えているのか。

国君はなお諫言を受け入れることができるのか。

社会の風潮はまだ正しい道へ立ち返る望みがあるのか。

それを知ろうとしたのである。

「その国がどこに問題を抱えているのか。国君はなお諫言を受け入れることができるのか。」(Shutterstock)

だからこそ、子貢は意味深くこう答えたのである。

「夫子は温・良・恭・倹・譲によって、それを得ている。夫子の求めるものは、おそらく世の人々の求めるものとは異なるのであろう。」

子貢は、先生には求めるものがないとは言っていない。

先生の求めるものは、世の人々とはまったく違うと言っているのである。

世の人々が何かを求めるとき、その多くは自分自身のためである。

富を求める者もいれば、権力を求める者もいる。

名声を求める者もいる。

だからこそ、人は互いに警戒し合うのである。

「世の人々が何かを求めるとき、その多くは自分自身のためである。……しかし、孔子は違った。」(Shutterstock)

しかし、孔子は違った。

孔子が求めたのは、自らの損得ではなく、天下の徳であった。

自分自身の前途ではなく、民衆の教化であった。

無私であったからこそ、人に接する態度は自然に温厚であった。

争う心がなかったからこそ、自然に謙譲の心が備わっていた。

心に私欲がなかったからこそ、その立ち居振る舞いは自然に礼儀正しく、質素で、誠実だったのである。

温・良・恭・倹・譲とは、人から信頼を得るための手段ではない。

長年にわたり徳を修めた結果として、自然ににじみ出た人格そのものである。

人々が感じ取ったのは、官職を求める人物ではなかった。

天下を真に憂える人物だったのである。

だからこそ、諸侯は喜んで政治について語り合い、民衆もまた本当の民情を孔子に打ち明けた。

それは孔子が人付き合いに長けていたからではない。

人々が、孔子は自分のためではなく、本心から国を良くし、人々の暮らしを安定させたいと願っていると信じていたからである。

「最終的には、徳によって人々を教化し、天下の民の徳を厚くするという志を実現することにある。」(Shutterstock)

 

結び

このように改めて曾子の

「慎終追遠、民徳帰厚矣」

を振り返ると、第九章と第十章は一本の筋でつながっていることが分かる。

曾子が語ったのは、教化の目標である。

すなわち、「民の徳を厚くすること」である。

一方、孔子が実践したのは、その目標を実現するための、絶え間なく、揺るぐことのない実践であった。

孔子が自らを修めたのも、人々を教化するためであった。

学問を講じたのも、人々を教化するためであった。

六経を整理し、歴史を書き残したのも、人々を教化するためであった。

そして諸国を巡ったことも、もちろん人々を教化するためであり、それ以外の目的ではあり得ないのである。

『学而篇』前半十章は、一見すると内容がそれぞれ異なるように見える。

しかし実際には、一貫して同じ主題を中心に展開されている。

学ぶ目的は、実践を通して徳を修めることである。

そして徳を修める目的は、自分自身を完成させることだけではない。

最終的には、徳によって人々を教化し、天下の民の徳を厚くするという志を実現することにある。

これこそが、孔子が生涯をかけて抱き続けた真の志なのである。

だからこそ、本章はこのように解釈してこそ、初めて全体として筋が通るのである。

この記事で述べられている見解は著者の意見であり、必ずしも大紀元の見解を反映するものではありません。
劉如
文化面担当の編集者。大学で中国語文学を専攻し、『四書五経』や『資治通鑑』等の歴史書を熟読する。現代社会において失われつつある古典文学の教養を復興させ、道徳に基づく教育の大切さを広く伝えることをライフワークとしている。