2021年10月26日、ニューヨークでワクチン義務化に反対するデモの様子。数万人の参加者がブルックリン橋を練り歩き、マンハッタンへと向かった(Sarah Lu/The Epoch Times)
<オピニオン>

常識が消えた米NYの新型コロナ事情

新型コロナ関連の規制から逃れられない。ワクチン接種の有無、自分の感染リスクと意志に関わらず、規制はどこまでも付きまとう。あなたがニューヨーカーだったら、地下鉄、コーヒーショップ、ジム、美術館、レストラン、大学の授業など、どこへ行ってもこれに遭遇する。それらの予防対策に効果はないということが、ますます判明しているにも関わらずだ。

パンデミックが始まった頃、私は非常に警戒していた。今にして思えば馬鹿げたことだが、買ってきたお菓子の袋まで熱心に洗っていた。当時は病気がどう広がっていくのかも分からず、用心するに越したことはないと思ったのだ。

徐々に、新型コロナが私の生活全般に干渉するようになった。それに気づいた頃、私は自らデータや研究を詳しく調べ、多くの疑問に対する答えを見つけた。予防対策の多くが無駄であることも分かった。

このウイルスは物の表面を介して感染しない。これを知ってから、私はポテトチップスの袋を洗うのをやめた。しかし、多くの人はまだ洗っているし、この無意味な対策を続けている。人々は自分で調べ、自分なりの結論を出さないのだろうか。常識はどこへ行ってしまったのか。

私が住むニューヨークでは、パンデミックに対する人々の態度は一貫している。権威に対する服従だ。マスクは必要不可欠な携帯品となった。マスクをつけて、一人で車を運転する人を見かけたこともある。この大都市では、たとえその予防対策の効果が怪しくても、疑われることはない。

人々は自分で調べることをせず、権威から与えられる答えを待っている。なぜこのような集団心理が続くのだろう。アメリカの制度や政治家、メディアには何度も裏切られたはずだが、それでも人々が彼らを信頼するのはなぜなのか。

私たちは、武漢の研究所を疑うことは「人種差別」であり、ウイルス発生源は海鮮市場だと繰り返し聞かされた。屋外での感染リスクは低いと分かっていながら、屋外でのマスク着用や公園の閉鎖を疑問視することもなかった。すべてのバーやレストランは時短営業を強いられたが、ウイルスは午後10時以降に感染するという証拠でもあるのだろうか。

少しでも批判的な思考を持っている人は、私たちが一貫して裏切られてきたことを実感しているだろう。信頼していた政府機関には、すでに失望しているはずである。

権威に盲目的に従わない人は、私も含めて「頑固者」と非難される。規制は不便だが些細な事だ、なぜ我慢できないのか、と説得される。

私はウイルスに対して慎重になることに反対しているわけではない。反抗的な態度を取ることも、ルール違反も好きではない。しかし、絶対に譲れないのは、自分の良心を裏切ることである。恣意的な規制に対しては、非暴力的な反抗が必要だ。パンデミックは私たちの考える自由を奪っている。

恣意的な規制は、ことごとく失敗している。上層部のリーダーたちは、ほとんどが医学の資格さえ持っていないが、恣意的に市民の自由を奪い、その効果を証明する責任を免れてきた。これも権威に一貫して従う群衆がいたからこそできたことである。ここで読者に彼らの考えを伝えよう。エリートの上層部は、私たち一般人が自分自身で考えられると思っていない。彼らは我々の意思を代表するのではなく、むしろ我々の無知から我々を守ることが彼らの役割だと思っている。

しかし、私は自分で考える自由を手放すつもりはない。データを読み、心の声を信じ、常識を頼りに生きていく。規制は小さな事だとか、多少の不便は我慢しろとか、そんな事はどうでもいい。些細な事でも、自分自身のルールを曲げて妥協したら、この坂道をどこまで転がり続けるのかは、誰にも分からないのだから。

(文・Rikki Schlott/翻訳編集・郭丹丹)

執筆者:リッキー・スコロット

ニューヨーク在住の学生でライター。メーガン・ケリー・ショーに従事し、デイリー・ワイヤー、コンサバティブ・レビューにも寄稿している。