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(写真・大紀元)

【歴史物語】人に寛容な心をもつと、よい報いがある

文・曉輝

 【大紀元日本11月9日】

 丙吉(ビンジー)は、前漢の宣帝時代の丞相(大臣)である。彼の車夫は酒が好物でした。ある日、車夫は丙吉を載せて外出していた時、酒を飲み過ぎて、車の中に吐いてしまいました。西曹主管は車夫をひどく叱り、彼を解雇しようとしました(注:西曹は官吏名)。丙吉は、「酒に酔っただけで彼を解雇したら、今後は誰が彼を引き取ってくれますか?怒らないでください。少し我慢すればいいのです。彼は敷き布団を汚しただけです」と言いました。そして、車夫は解雇されませんでした。

 この車夫は辺境の地区の出身で、ときに辺境で発生した緊急の軍務情況を察知することがありました。ある日、車夫は外出中に、ちょうど宿駅の兵士が紅白格子織の緊急書簡袋を携え、目の前を疾走していきました。車夫は彼を尾行し、そっと探りを入れました。そしてついに敵軍がすでに雲中、代郡地区あたりまで攻め入っていることが分かりましたので、彼はすぐに丙吉の元に行き報告しました。「恐らく敵軍が侵入された辺境には、多少の防衛はあるものの、駐屯する官吏は老年で病気がちだから、侵入を防ぎとめる大任は難しいと思われます。丞相が先に巡察された方が良いのです」と言いました。丙吉は彼の言ったことは理にかなっていると思い、関係官吏らを招集して、辺境の官吏を順番に審査しました。まだ審査が終わっていないうちに、宣帝は丞相と御史大夫を引見して、辺境の紛争の状況を尋ねました。丙吉は情況をすらすらと答えましたが、御史大夫は慌てふためくだけで、詳しい情況は知らず、降格されました。職務に忠実な丙吉は人々に称賛されました。丙吉は心から車夫に感謝しました。車夫になぜこのような行動があるのかといえば、すべて丙吉の度量が大きいためなのです。

 この物語の中の主人公は、人に対して寛容であるため、それに対して、人も命を捨てて報いました。これはまさに本当の聡明な行いではありませんか?

(翻訳編集・心宇)


 (09/11/09 05:00)  





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