修行の心

わざと顔を火傷した美女

2016/01/27 07:00

 千代野(1223~1298年)、またの名を千代能は、鎌倉中期に絶世の美女としてその名を馳せた禅宗の尼師である。当時の日本には幕府の権力を握る北条氏や皇族とともに三大宗族に数えられた安達一族という宗族がいたが、千代野はこの安達景盛の娘としてこの世に生を受けた。

絶世の美女

 美しく成長した千代野は、絶世の美女として世間に知られるようになった。彼女を傾慕する者は多く、その中には皇族や貴族の要人もいた。当時の幕府の実力者、北条実時も千代野に想いを寄せる一人であったが、彼女がこれらの男性たちを相手にすることはなかった。千代野は夢の中で神の啓示を受けたことがあり、この神を自分の理想の相手として愛慕していたのだ。

修行の念の芽生え

 理想の相手の到来を待っていた千代野は20歳を過ぎても結婚しなかった。そしてある日、法事で拝聴した禅師の法話から「いくら美しい容姿を持っていても、老衰の日は必ず来る。死後に白骨しか残らない無常の人生を変える方法は、修行しかない」と悟り、以来、出家の念を持つようになる。その想いは、父親である安達景盛が対立していた三浦一族を亡ぼした時に目にした多くの無残な死や、そんな父にも等しく訪れた最期を経験し、更に強くなっていった。

美貌は出家の障害

 ついに出家を決意した千代野はいくつかの寺院を訪ねたが、全ての寺院で入寺を断わられてしまった。理由も分からぬまま、中国から渡来した声望の高い蘭渓道隆禅師が住職を務める常楽寺を訪ねると、禅師から次のように諭された。「修行を求めるあなたのその心は非常に良いが、私は寺にいる弟子達の修行のことも考えなければならない。あなたのような美女がこの寺に居たら、五百人余りいる弟子たちは気が狂ってしまい、座禅を忘れ、佛経を忘れ、あなたを自分の神とするに違いない。昔から美貌は、修行の道の最大の障害とされてきた。そもそも女性は、佛法の修行において困難が多いのだ。出家して尼僧になった女性も少なくないが、多くの尼僧は成就できなかったばかりか、反って佛法に泥を塗ってしまった。千代野さん、あなたはやはり家に帰った方が良い」

固い意志で美貌を損なう

 蘭渓道隆禅師の言葉で、千代野はようやく目が覚めた。絶世の美女と謳われる自らの容貌が、出家の最大の障壁だったのだ。強情で負けず嫌いだった千代野は、自分の信念を貫くために決心を固めた。他の方法が見つからなかったために燃える炭を顔にあて、その美貌を自ら捨てたのである。そして再度、蘭渓道隆禅師を訪ねた。禅師は千代野の固い決意に感動して出家を承諾し、「無着」という法名を彼女に与えた。

苦行しても悟れない日々

 出家後の千代野は熱心に佛法を追求し、惜しむことなく苦行に励んだ。しかし佛法の真理をなかなか悟れず、度々厳しく叱られることとなる。禅師からは、「過去の記憶を取り除けておらず、多くの求める心を持って修行している。このままでは佛法の真理を悟ることは永遠に不可能だ」と指摘された。

 1253年、蘭渓道隆禅師は天皇に招かれて建長寺の初代住職となった。常楽寺の弟子たちも禅師とともに建長寺に移り、その中に千代野もいた。彼女は以後、建長寺の中の尼僧の修行のために建てられた海蔵寺で苦行に励むこととなる。歳を重ねるにつれて風采は失われ、青春時代に憧れていた夢の中の神のことも忘れていったが、千代野は依然として悟りを得られなかった。蘭渓道隆禅師が圓寂した後は中国から渡来した無学祖元禅師(佛光国師)が住職になったが、それでも尚、佛法の真理を悟れないまま修行の日々を送っていた。

悟りを開く

 1282年のある日の夜、いつものように井戸から桶で水を汲み、寺に持ち帰っていると、ふと月が目に留まった。水汲みは30年以上も繰り返してきた仕事だが、この日の月はとても美しく、まん丸の月が水の中にゆらゆらと動いていた。静かに月を鑑賞していたところ、突然、長年使っていた桶の箍(たが)が外れて底が抜け、一瞬のうちに水も月も消えてしまった。それを見た千代野は急に悟りを開き、この世のすべては無常で、幻で、空であることの真意を理解した。この時の心境を表すために残したのが、次の詩である。

あれこれと たくみし桶の 底抜けて 水たまらねば 月もやどらじ

 悟りを開いた後の千代野は、無学祖元禅師の最も自慢の弟子となった。晩年は禅師の奥義を受け継ぎ、京都尼五山の首位寺である景愛寺を創立。景愛寺は後世、女性修行者の道場として有名な寺となる。また、彼女が長年水を汲んだ井戸は「底脱の井」と称され、現在は海蔵寺の観光名所となっている。

(翻訳編集・恵明)

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