鎮魂そして決意…罪なくして逝きし兄弟たちへ…

2006年07月30日 23時22分
 【大紀元日本7月30日】7月20日より25日までの4日間、東京都議会棟一階・談話室の3部屋を会場に、中国の人権侵害の惨状を伝える写真と美術作品の展示会が開催された。

 中国共産党による恐怖政治のために犠牲となった人々は8千万人とも言われるが、今回の展示会は、いわゆる反右派闘争や文革など、いささか遠い過去の犠牲者を追悼するものではない。それはまるで昨日のように近い過去の犠牲者と、今まさに生命の危機に晒されている無辜の人々の絶叫が聞こえてくるような凄まじい展示会なのである。

 五十数枚のパネル写真と絵画作品の光景は、信じがたいほど凄惨なものであった。この紛れもない中国共産党の正体に、来観者のほとんどが衝撃を受けただろう。展示の多くは法輪功学習者への迫害を伝えるものである。正直、正視できないほど惨い。中国当局による不当逮捕、拷問、虐待、思想改造の残酷さは、記者の拙筆ではとても表現できないが、その分、写真や絵画の中の人々が、瀕死の状態で、あるいは絶命したままの姿で百万言もの言葉を私たちに伝えてくるのである。

 私は、法輪功学習者ではない。しかし、記者が日常よく接している法輪功の人々は、自らの信仰を持つがゆえに、温厚で善良な人ばかりである。中共は、そんな彼らを「邪教」の徒と決めつけ、狂い、殴り殺す。どちらが邪教であるか、すでに天の審判は下っているのであるが、そのことに邪教の司祭は一向に気づく様子はないようだ。今日もまた、中国の各地で罪なき犠牲者がでていると思うと、身を裂かれるほど辛い。

 しかし、その加害者もまた人間であるとすれば、なぜ人はこれほど残酷な所業がなし得るのか、という根源的な疑問を感じずにはいられなくなる。

 ふと日本のことを考えてみた。近頃スローライフがもてはやされ、江戸時代の庶民の生活に郷愁を感じる日本人が多いという。記者もそれを悪いとは思わないが、歴史的知識として、江戸時代には二つの汚点を残したことを日本人は記憶しておきたい。

 一つは、士農工商の身分社会を安定させるため、その下に被差別階層を設けてしまったこと。もう一つは、徳川家康以来の祖法であるキリシタン撲滅を、二百数十年の長きにわたって貫いてしまったことである。

 ここで法輪功とキリスト教を同列に扱う意図はない。ただ日本人自身の反省として、まずは我が身を歴史の鏡に映してみたいと思うのである。

 周知のとおり、織田信長に庇護され、庶民も大名も受洗したキリスト教であったが、豊臣秀吉に禁じられ、徳川の時代になると国策として撲滅の対象となってしまった。

 江戸時代のキリシタン弾圧は凄惨を極め、殉教者は30万人ともいう。当然ながら、棄教させるための拷問は凄まじいものだった。なかでも「穴吊り」は酷かったという。地面に直径1メートル、深さは人の身長ほどの穴を掘り、その中へ、手足を縛ったキリシタンを逆さ吊りにするのである。穴底には汚物を撒いておく。吊るした上から木のフタをかぶせることもある。それでも、敬虔なキリシタンは棄教することを最後まで拒み、何日も逆さ吊りのまま絶命するのである。

 絶命、といっては失礼であろうか。「デウスの神のもとへ召された」と申し上げるべきかも知れないが、その結末はあまりにも悲しい。もちろん、彼らの信仰の純粋さは理解するのであるが。

 先ほどの「根源的な疑問」を、いま一度考えてみよう。徳川時代のキリシタンは、自らの信仰を大切に守りながら、禁欲を旨とし、日々の労働に励む善良な庶民であった。しばしば取締まりの理由にされる「島原の乱」は、苛烈な弾圧に耐えかねた結果であって、彼らの方から、為政者に対して政治的に反抗したことは一度もないのである。迫害される実質的な理由が、キリシタンの側にあったとはとても思えない。

 一方、徳川幕藩体制においては、徳川将軍家が司法権と立法権を独占し、行政は各藩に代行させていたが、その藩の生死を決めるという絶大な「人事権」を統括していたので、結局は、徳川家による世襲的独裁であった。そのため、「外来の邪宗門キリシタンを取締まれ」と命じられた諸藩は、点数稼ぎのために「好成績」をあげて、ひたすら幕府に媚びたのである。つまり、多くの無辜の民が犠牲になった原因は、すべて為政者側の無知と身勝手さにあったということだ。補足すれば、徳川幕府が倒れた後にも、神道による新国家イデオロギー確立のために、キリスト教徒への迫害は明治初年まで続くのである。

 わが日本にも、このような血塗られた歴史があったことを謙虚に受け止めよう。

 しかし、法輪功弾圧をはじめ、中国で今も行われている弱者への迫害は、断じて許されるものではない。今は、受難の中世でも弾圧の前近代でもない。21世紀の現代ではないか。ましてそれが次期オリンピック開催国であるなど、全く信じられないことだ。

 ひとり苦悶しながらそう考えていたら、来観者が途切れ、会場の展示室にいたのは私だけになった。ふとその時、パネル写真の傍らに、目には見えないが、たくさんの人がいる気配を感じた。それは記者の錯覚であったかも知れない。しかし、実感として確かにそう思えたのだ。亡くなった兄弟たちが皆そこに来ている、と。

 中国の人権状況は、それが暴力的独裁政権である限り、依然として深刻な状態である。もうそろそろ終わる予定なのだが、悪魔とはなかなか死なないものらしい。

 私たちは、もっと頑張らなければならない。罪なくして逝った兄弟たちが、ここ東京都議会の会場に集まって来て、私たちに勇気と力を与えてくれたからだ。記者もそうであったように、来観者もそれを十分に感じたものと思う。

 死者の霊魂が戻ってくるのは中国では清明節であるが、ここは日本のお盆の習慣に合わせてくれたのか。睡蓮の花の兄弟たちよ。あなたたちとともに、私たちも一層の努力をすることをここに誓おう。 

 
*参考文献 津山千恵『日本キリシタン迫害史』


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