大紀元時報
掛谷英紀コラム

理解できないものの存在意義

2020年01月13日 19時43分
京都の三十三間堂で、成人式を迎える女性たちは「通し矢」を行った。2016年1月撮影、参考写真(GettyImage)
京都の三十三間堂で、成人式を迎える女性たちは「通し矢」を行った。2016年1月撮影、参考写真(GettyImage)

現代社会においては、あらゆるところでコンピュータのプログラムによる制御が行われている。普段の我々は、そうした情報システムに支えられて、当たり前のように便利な暮らしをしているが、時々システムが不具合を起こし、社会を混乱させるトラブルも発生する。トラブルが発生したとき、その原因の特定に時間がかかることも多い。我々のインフラを支える情報システムは非常に複雑であるため、その全貌を完全に把握している人がいないからである。システムの部品ごとに担当者がおり、それらが組み合わさって全体のシステムが成り立っている。一人の人間が理解できることは限られているのである。

左翼思想の持ち主には、自分一人が理解できることには限界があるという認識の欠如がしばしば見られる。もちろん、彼らも自分が知らないことがあるという認識は持っているが、自分が理解できないものは存在意義がないと考えることで、自分の理解で世界全体を把握できているという自負を獲得している。科学のことは全く知らないのに、福島の放射性物質についてデマを広めるのも、そうした根拠のない自信に基づいていると考えると説明がつく。

私自身、電子情報系の研究をしているので、研究室の学生と一緒に日々コンピュータのプログラム開発に取り組んでいる。その中に新人の学生が入ってくると、学校教育を通じて培われた彼らの左翼的考えが、研究を進める上での障害になることも少なくない。

以前、研究室でこんなことがあった。ある年、新入りの学生に一つの課題を与えた。私の書いたプログラムの一部を変えれば完成する、ごく簡単な課題だった。ところが、いつまで経ってもプログラムは完成しない。あまりに時間がかかるので、なぜうまくいかないのか、彼が書き換えたプログラムの中身を確認してみた。すると、当該箇所は正しく書き換えられている。しかし、プログラムは動作しない。よく見てみると、私が書いた重要な部分が一箇所消されていることに気付いた。その部分を復元すると、プログラムは意図通り動作した。

私はその学生に聞いてみた。「どうして、この部分を消したの?」すると、彼の答えはこうだった。「この部分は何をしているか分からなかったので、意味がないと思って消しました。」

自分が理解できないものは意味がないと考えて、その存在を消し去る。これは上述した左翼思想の特徴そのものである。しかし、この考え方では、システム開発の仕事はできない。繰り返しになるが、一人の人間の理解力には限界がある。だから、自分が理解できない部分についても、それが含まれてシステムが動作している以上、何らかの役割があるのではないかと考えながら作業を進めることが不可欠なのだ。

実社会の制度設計においても、左翼はしばしば自分が理解できないものは意味がないと考えて議論を進めることが多い。その典型例が「天皇制」を巡る議論である。左翼の多くは、「天皇制」そのものに反対である。

私自身も、左翼全盛期の学校教育を受けて育ったので、学生時代は「天皇制」に意味はなく、廃止してもいいと思っていた。しかし、今はその意義を合理的に説明できる。自分が理解できないものは無くしていいと考えた当時の自分の愚かさを恥じるばかりである。

「天皇制」の意義を真面目に議論すると長くなるので、一つだけ論点を提示しよう。青山繁晴氏の著書『壊れた地球儀の直し方』に、興味深いエピソードが紹介されている。1990年代、米国の大統領がビル・クリントンで中国の国家主席が江沢民だったときのことである。当時、共同通信の記者だった青山氏は、江沢民との二国間協議を控えたクリントン大統領が青ざめた顔で震えているのを目撃したそうだ。世界一の軍事力をもつ国の大統領であっても、世界一の人口を持つ国を率いる独裁者と相対するのは怖かったらしい。一方、細川護熙首相(当時)は、江沢民と首脳会談でも、全く緊張していなかったそうである。青山氏が細川首相に「なぜ緊張しないんですか?」と聞くと「なんで緊張するの?」と返されたとのことである。

ご存じの通り、細川元首相は熊本藩主細川家の出である。よって、幼少のころから要人に会う経験が多数あったと想像される。だからこそ、江沢民の会談を控えても全く動じなかったのだろう。世襲議員はしばしば批判の対象になる。しかし、国際舞台での振る舞いを観察すると、市民活動家上りの政治家は外国の首脳を相手におどおどした態度をとる一方、世襲議員は全く動じていないことが分かる。私のような小者は、文章では中国共産党を批判できても、習近平を目の前にすると顔を青くしてブルブル震えることは間違いない。

「天皇」「王」「貴族」は、幼少のころから世界の要人に会っているため、国際舞台で動じない胆力が培われているというところに、その存在意義を見出すことができる。昭和天皇がマッカーサーに相対して全く動じなかったこと、平民出身のチェンバレンが独裁者ヒトラーに譲歩を繰り返したのに対し、貴族出身のチャーチルはナチスドイツに毅然として立ち向かったことなどを思い起こせば、そのことがよく分かるだろう。このように、その存在意義が一見理解しにくいものでも、長く続いているものにはそれなりの深い意味が見出せることが多いのである。

私も人間なので、未だにその意義を理解できていない慣習は多くある。クリスマスに「サンタさんからのプレゼント」とつく「ウソ」はその一つである。私はその意義を理解できなかったが、多くの人が長い間続けている慣習なので、何か深い意味があると思って、自分の子どもが小さい頃は同じように「ウソ」をついた。

この「ウソ」の意義について、昔学生と議論したことがある。私の思いつく意義は「大人はウソつきだということを教えるため」という陳腐なものでしかなかったが、ある女子学生が「目に見えないものの大切さを教えるため」という意見を出したときには感心した。これは、私が今まで聞いた中で最も説得力のある「サンタ神話」の意義である。

自分が理解しているものがこの世の全てだという思想を持つ知識人は、しばしば「若いうちに読むべき本○○冊」といったリストを提示する。私は、これは非常に傲慢な考えだと思う。自分が読んでいない名著の存在を無視しているからだ。私も若いうちに読むべき本を聞かれることがあるが、そのときは「古くから読み継がれている本、大規模な宣伝なしにベストセラーになった本に名著は多い」とだけ答えている。特定の本を挙げると、私の知っている世界という限られた空間に若者を押し込めることになるからだ。

自分が理解できないものにも、この世に存在し続けている以上、何か意義があるのではないかと考えて尊重する精神。この精神を失ったとき、人間は暴走する。このことは、共産主義国家で繰り広げられてきた数々の惨劇が雄弁に物語っている。私がサンタクロースについて学生と議論したように、理解できないものの存在意義を話し合う機会を学校教育の場で増やせたらと思う今日この頃である。


執筆者:掛谷英紀

筑波大学システム情報系准教授。1993年東京大学理学部生物化学科卒業。1998年東京大学大学院工学系研究科先端学際工学専攻博士課程修了。博士(工学)。通信総合研究所(現・情報通信研究機構)研究員を経て、現職。専門はメディア工学。特定非営利活動法人言論責任保証協会代表理事。著書に『学問とは何か』(大学教育出版)、『学者のウソ』(ソフトバンク新書)、『「先見力」の授業』(かんき出版)など。

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