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つつじまつりで賑わう根津神社境内(大紀元)

初夏の彩り 根津神社つつじまつり

 【大紀元日本5月1日】東京都文京区にある根津神社が、今が見頃のつつじを求めて多くの人で賑わっている。根津神社の今年の「つつじまつり」は4月9日から5月5日まで。つつじの開花は木によって多少の時間差があるので、イベント終盤の今も見頃の花が楽しめる。

 根津神社は、古くは根津権現と呼ばれ、神仏習合の様式で祀られていた。千九百年ほど前に、日本武尊命がこの地に近い千駄木に創祀したと伝えられているが、現在の地に移転して壮麗な権現造りの社殿などが整えられたのは江戸中期の宝永3年(1706)であった。

 この年、第5代将軍・徳川綱吉が、次期将軍の嗣子を甲府徳川家出身の家宣に定めたため、その産土神(家宣は江戸根津屋敷の生まれ)である根津権現へ奉建したことによる。奉建は諸大名を動員した大工事であった。ちなみに綱吉も、館林徳川家の出身なので「本流」ではない。

 今から二百年ほど前の『江戸名所図会』に描かれた「根津権現社」は、広大な敷地に現在も残る社殿・楼門・唐門などが描かれていて当時の栄華がうかがわれるとともに、図会の左手に当たる境内の斜面が、今日の「つつじが岡」に当たることが見て取れる。

 将軍綱吉と言えば、天下の悪法と言われた「生類憐れみの令」の発布者として甚だ不人気であったことが知られている。ただこれも元来は、幕府発令の公法というよりは、殺生を戒めるための精神法のようなもので、綱吉にしてみれば、民衆を教化する有難い「教え」のつもりだったのだろう。

 ところがその運用に当たり、病的な極端さで行ったのがまずかった。違反者を処罰したり、犬を保護するために人間の犬目付け職を設けたり、あげくは犬を虐待した者を密告すれば賞金が出るなど、社会秩序を本末転倒させたために大混乱が生じたのであった。

 確かに異常な面もあった。綱吉は別の面から再評価されてもよいように思うのだが、ともかく根津権現の人物関係で述べれば、綱吉没後、第6代将軍となった徳川家宣は、まず真っ先にこの悪法を廃止した。50歳で没した家宣の治世は約3年と短かったが、第7代将軍の家継の治世と合わせて、政治顧問となった新井白石の儒教思想をもとにした「正徳の治」と称される文治政治が行われた。

 明治初期の神仏分離令によって全国的に行われた神仏分離、すなわち神道と仏教、神社と寺院を明確に区別することが求められたため、以後の名称は「根津神社」となった。ただ、森鴎外や夏目漱石などを始めとする明治・大正期の文学作品のなかには、旧名の「根津権現」としてよく出てくる。

 実は現在でも、地元のお年寄りなどには「権現さま」という呼び方が残っているらしい。花がいつの年も美しく咲くように、年月を経ても変わらないものは確かにある。

 根津神社へは、地下鉄千代田線の根津駅または千駄木駅から、いずれも徒歩8分。

 
今が見頃の根津神社のつつじ(大紀元)

国の重要文化財にも指定されている社殿(大紀元)

満開のつつじに埋もれそうなほど(大紀元)

美しい花を見る人々は、みな笑顔だった(大紀元)

(牧)

 (11/05/01 07:00)  





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根津神社  つつじまつり  徳川綱吉  生類憐れみの令  江戸名所図会  新井白石  


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