カナダに脱出した「天安門大虐殺」の民主活動家、監獄での迫害体験などを語る

2006年06月03日 11時12分
 【大紀元日本6月3日】中共政権に武装弾圧された大学生の民主運動「天安門大虐殺」(1989年6月4日に発生)は今年で17周年を迎える。当時3人の青年・魯徳成氏、余志堅氏と諭東岳氏は天安門広場に掲げられていた毛沢東の画像にインクや、玉子などを投げつけたため、中共から「反革命破壊罪」で、それぞれ16年、20年と無期懲役を言い渡された。後に彼らが「天安門三君子(「君子」は日本語で「紳士」の意味)」と呼ばれるようになった。国際社会が中共に対し、関係者の早期釈放を強く求める中、魯徳成氏は1998年に、余志堅氏は2001年に仮釈放され、今年2月に諭東岳氏も釈放された。しかし諭東岳氏は虐待や拷問により、重度の精神分裂症に患い、自力で生活が出来ない状況になっている。魯徳成氏は2004年様々な危険を乗り越え、タイへの脱出に成功、そして今年4月にカナダ政府に受け入れられ、現在カルガリーに定住している。大紀元記者が魯氏を取材し、当時の詳しい状況や、刑務所で受けた迫害、カナダに救出されるまでの経緯などを紹介、これからも中国の民主運動のために奮闘するとの意向を明かした。

 1989年5月、学生が政治改革の実行と、官僚腐敗の取り締まりを要求するため、全国範囲で民主運動を展開した。当時、余志堅氏、諭東岳氏と私は、湖南省長沙市でのデモに参加した後、北京に出向かい、中共政権に直接自分たちの理念を伝えようと考えた。しかし、5月19日に中共政権は学生などによる平和的な民主運動に対し、戒厳令を下した。そのことで我々は「中共に頼み込んでもだめで、その政権に希望を抱くのは無謀だ」との現実に気づいた。22日夜、私たち3人は、人民大会堂前の階段に座り込み、毛沢東の画像にインクや、玉子を投げつけるという方法で抗議することを決めた。当時の行動は毛沢東個人に対する怨恨ではなく、中共政権の制度そのものを否定する行為であった。毛沢東の画像は中共の専制と暴政の象徴だからだ。

 1989年6月4日に「天安門大虐殺」が発生し、大学生の民主運動が武装弾圧された。その直後中共政権は毛沢東の画像にインクや玉子を投げつけることは、「反革命破壊罪」を犯したと判断、私と余志堅氏、諭東岳氏に、それぞれ16年、20年、無期懲役の有罪判決を下した。当時北京市では大勢の大学生が逮捕されたため、刑務所がパンク状態になり、結局、私たちは出身地の湖南省に強制送還され、別々の刑務所に監禁された。

 入所当時、1人の警官は私たちに、「お前らは強盗よりも悪いことをした」と罵倒した。この言葉はまさに中共警察の残虐な本性を表した。彼らの人格はある意味では刑事犯よりも卑劣で、俗に言うと「極道にも義理がある」ものだが、中共の警察は完全に人性を喪失してしまった。諭東岳氏の遭遇した拷問はなによりの証拠である。1992年逮捕されて3年目の時に、諭氏はすでに精神分裂症を患った、法律の定めによれば、このようなケースは一時出所して、治療を受ける権利があるのだが、中共はこれすら容赦せず、国際世論の圧力を受け、十数年後の今年2月、初めて彼を釈放した。今の諭東岳氏は、いつも恐怖状態で、ご飯を目の前に置いても、大声で「食べなさい」と言わないと手を出せない。家で一日に数十回も人に土下座し、お辞儀をして額ずく。一番恐れているものは警察の帽子に付けている国章で、警官や、警官のような帽子を被っている人を見かけると極度に緊張し、敬礼するなど異常な反応を示す。同じ刑務所に監禁されていた民主活動家の証言によると、諭東岳氏は逮捕された当初、意識がまだはっきりしていた時期に、度重なる拷問に耐え切れず、3回も自殺を試みたという。監禁される前の諭東岳氏は才能溢れる秀才で、善良かつ正義感の強い人だった。彼は15歳のときに大学試験に合格し、18歳で大学を卒業した。地元メディア・瀏陽新聞社の美術編集者を務めた。

 私自身では、耳の後ろ、目の辺りには多くの長い傷跡が残っている。この場でこのように軽々しくこの事を言及しているのだが、その場に身を置かなかった人には、中国刑務所の残虐さと恐怖を語り尽くせない。

 ナチスによるユダヤ人への大虐殺は肉体を消滅させるだけで済んだ。しかし、中共政権は政治犯などに対する迫害は、精神と肉体の両方面を徹底的に消滅させる。先ほど言及した諭東岳氏は典型的な実例である、彼は非常に意志の強い人間だったが、まったくの障害者になってしまった。中共政権が称する「魂の底から思想改造をする」というのは、虐待や拷問の手法で、正義を堅持する者を中共のように真っ黒で、悪道を極めた同類に改造することを意味する。中国社会で道徳向上の正義人が多くなればなるほど、中共の独裁が成り立たなくなり、その悪党は脅威を感じるので、善悪の区別が付かない社会こそ、彼らの暴政の温床になる。法輪功への集団弾圧もまさにこの一環である。

 外国の記者や、国連の拷問問題の特別調査チームが中国の刑務所を訪れ、違法監禁や拷問の実態調査を行う際に、警官たちは事前に囚人に念を押しており、だれか真相を語ったら、後で一層残酷な拷問を受ける。だからそのような調査では真実を把握するのはとても難しいのだ。

 私は2004年8月20日に、国内外の友人の支援で雲南省から出国した。ミャンマーを経由してタイに入るまでに2ヶ月かかった。その逃亡の旅で、多くの民主活動家の友人に護送され、最も遠いしかし最も安全な脱出ルートを選んだ。コンパスを頼りに果てしない原始林を通り抜けて、ようやくタイに着いた。元の計画では、タイに身を下ろし、自分たちの民主活動を継続しようと考えたが、タイにある中共のスパイ組織がすぐに私の行方を突き止めたため、タイ政府は中共の圧力に屈し、私を一年半あまり監禁した。その間タイ政府は私を中国に強制送還しようとしたが、私は「例え死んでも二度と中共の刑務所に入らない」と心に決めた。幸い各方面の働きにより、カナダ政府は救いの手を差し伸べ、私を受け入れてくれた。カナダの地を踏んだ日、私は始めて真の自由とリラックスを実感でき、十数年来初めてグッスリと熟睡できた。ここで私は「中国難民の友」(カナダのカルガリーにある民間団体)や、カナダ、米国、オランダ、ドイツなどの国の政府による救出活動に深く感謝の意を表したい。海外の民主活動家の友人や、宗教団体、私の真実を報道するメディアにも感謝したい。最近になって知ったことだが、大勢の見ず知らずのカトリック教徒が私のために祈りを捧げて下さったという。私は本当に心から感動している。

 現在、多くの中国人が17年前の私たちの民主行動は正しいと認識し始めた。私は当初の決断を後悔していない、これからも自分が選んだ道を歩んでいく。「独裁政権は必ず崩壊し、民主は必ず勝利する」と確信している。中共政権が国民に犯した罪は計り知れないほど重大で、この悪党には必ず天罰が下る。

 最後に、私は国際社会に対し、余志堅氏と諭東岳氏を含め、中国国内で民主のために奮闘し続けている大勢の無名の勇士たちを引き続き支援して下さることを懇願する。彼らは中華民族の大黒柱と希望である。

 
(記者・修路)


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