【伝統を受け継ぐ】二弦の琴「八雲琴」

2013年03月04日 07時00分
【大紀元日本3月4日】長さ1メートルあまりの胴に絹糸の弦が2条、シンプルな作りの八雲琴が奏でる透明な響きにのせて、万葉の古歌が伸びやかに、大らかに歌いだされる。奈良県の明日香村中央公民館で「明日香の響」保存会による八雲琴の演奏を聴いた。

 八雲琴は一名、出雲琴ともよばれ、2条の弦を張るため二弦琴ともいう
二弦琴「八雲琴」(大紀元)

。二弦琴の歴史は古く、『古事記』に記されている須佐之男命(すさのおのみこと)が所持した天の詔琴(あまのぬごと)が起源と伝えられている。

 現在の八雲琴は、江戸時代後期、医学と武術の修業のため京都に出た、伊予の国の中山琴主(ことぬし)が音楽に出会い菊岡検校に入門、出雲大社にお参りした際に霊感を受け、二弦の琴を創作したといわれている。

 八雲琴は『古事記』『万葉集』をはじめ、『八代集』など格調の高い歌詞に合わせて演奏され、神前楽器の趣が強かった。武士や公家を中心に京都、大阪で大いに盛んになり、次第に地方へも広まったという。

 現在では、ほとんど姿を消してしまった二弦琴ではあるが、奈良県明日香村にその
脇田初枝さん(大紀元)

伝統が受け継がれている。「明日香の響」を絶やしてはいけないと尽力する保存会の脇田初枝さんを、石舞台を見下ろす高台にあるご自宅に訪ねて、保存会の成り立ち、その後の活動などについて話を聞いた。

 師匠は飛鳥寺の山本震琴師。明日香村には日本最古の仏像、飛鳥大仏を安置する飛鳥寺がある。その寺の住職、山本雨宝師(1903‐1988)は、口伝であった曲を採譜し、神前楽器であった二弦琴を広く東洋音楽として紹介して後継者を指導するなど、継承を可能にした。八雲琴の演奏者として国の無形文化財の指定を受け、震琴(しんきん)を名乗った。

 震琴師との出会いをたずねると、「それがね。文化協会の方から震琴先生のお弟子になって、是非継承してほしいと言われたんですよ。茶道をしていますし、時間的にもとても無理、と辞退させていただいたんですけれど・・・結局こうなりましたね」と言って脇田さんはコロコロと笑った。

 1980年に八雲琴を継承すべく明日香文化協会に選ばれた5人のお弟子さんが震琴師の指導を受けて練習を始めた。その会を「明日香の響」保存会と命名したのも震琴師であったという。

 「もっと若い方がたくさん習ってくれないことには、継承は難しい」と考えた脇田さんは、「子ども教室」発足のため、伝統文化活性化国民協会に働きかけるなど活動を開始した。今では、成人9人、子ども会員20人
練習中の「明日香の響」保存会のメンバー(大紀元)

、地元の中学校の総合学習の生徒7、8人と会員数も増えている。2005年には伝統文化ポーラ賞を受賞した。

 毎年、4・5・6月と9・10・11月の第3土曜日の午後には、万葉文化館のエントランスホールで定例公演会を開くほか、明日香村伝承芸能保存会のメンバーとしての活動など活発に演奏活動を行っている。「元譜は150曲ほどあるのですが、演奏できるのは50曲ほどです。今は指導と演奏会で精いっぱい、なかなかレパートリーを増やせないのですよ」と脇田さんは言う。

 小学4年生の森田彩香さんに楽しいですかと問うと、「お琴は楽しいけれど、歌が難しい」と言う。小学生には歌詞も難しいし、現在のテンポの速い音楽に慣れ親しんでいる子供たちが稽古を続けられるのはどうしてだろう。「そうですね。みんな熱心ですよ。今は分からなくても、大きくなって、ああこの歌知ってる、と古典に戻ってきてくれたらいいなと思います」と脇田さん。

 「明日香の響」継承に尽力する脇田初枝さんだが、出身は熊本県だという
脇田初枝さんと夫で陶芸家の脇田宗孝さん、石舞台を見下ろす自宅の庭にて(大紀元)

。熊本から明日香へ、そこには夫で奈良県出身の陶芸家、脇田宗孝さんとの出会いがあった。1967年に国の明治百年記念事業として始まった「青年の船」の一期生同志だったという。その航海には、記者も偶然、船会社側のスタッフとして乗船した経緯があり、不思議な縁を感じた。

 「九州人は丸見え、といわれるように明けっぴろげで率直です。一方、明日香の人の表現はやんわり間接的です」と初枝さんは熊本と明日香の違いを語る。その率直さと明るくてオープンな人柄に惹かれて子どもたちも稽古に通うのだろうと推察した。

山本震琴師の琴と写真、飛鳥寺所蔵(大紀元)

明日香村中央公民館で演奏する「明日香の響」保存会(写真提供・浜松市楽器博物館)


(温)


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