縁結びの神様 月下老人

2006年09月06日 22時17分
 【大紀元日本9月6日】中国では仲人のことを「月下老人」、略して「月下老」とか「月老」と呼ぶことがある。これは、「月下老人」が世の男女の縁結びの神様だと伝えられているところからきているのであるが、そもそもこの神をなぜ「月下老人」と呼ぶのか?その典故は『続幽怪録』にある。

 中国唐の時代、韋固(いこ)という若い男がいた。彼は旅の途中、宋城まで来ると南の宿屋に宿泊した。ある晩、街をぶらぶらしていると、一人の老人が月光の下で一心に何やら本を読んでいた。老人の脇には大きな布袋があり、中には赤い糸がいっぱい入っていた。

 韋固は興味津々、老人のそばへ行くと、「おじいさん、そんなに夢中になって、何の本を読んでいるのですか?」と尋ねた。老人は「私はこの世の男女の縁組み帖を見ているのじゃ」と答えた。韋固はそれを聞いていっそう興味を持ち、「袋の中のこの赤い糸は何に使うのですか」と尋ねた。老人は微笑んで、「この赤い糸は、夫婦になるはずの男女の足首を結び合わせるために使うんじゃよ。その二人が仇同士であろうが、遠く離れていようが、或いは貧富の差がどんなに大きかろうが、この赤い糸で結び合わせただけで、二人の縁は生涯変わらず、夫婦となるんじゃ」と言った。

 韋固は老人が自分をからかっているのだと思ったが、この風変わりな老人に興味があり、もっといろいろ聞こうと思った。そこで、本と布袋を片付けて米市場のほうへ向かう老人の後について行った。米市場に着くと、前から3歳位の女の子を抱いた、目の不自由な婦人が歩いてきた。老人は韋固に「この婦人が抱いている女の子があなたの将来のお嫁さんじゃ」と言った。韋固はそれを聞いて、老人がわざと自分を侮辱しているのだと思い、とても腹が立ったので、家へ帰って、下僕にその女の子を殺すよう命じた。そこで、下僕は女の子をナイフで一刺しして逃げた。韋固は市場に戻って先ほどの老人と話をつけようとしたが、老人の姿はもうそこにはなかった。

 光陰矢の如し。あっという間に14年の歳月が過ぎた。韋固は兵隊を率いて戦いに勝ち、手柄を立てたので、相州刺史(州の長官)・王泰の娘と結婚することを賜った。娘は王泰の掌上の玉で、とても綺麗だが、惜しいことに眉間に傷痕があった。韋固は不思議に思い、王泰に尋ねてみると、「14年前宋城で、子守があの子を抱いて米市場を通りかかった時、ある暴徒にわけもなく刺された。致命傷とならず傷だけですんだのは不幸中の幸いで、この子は命拾いした!」と教えてくれた。

 韋固は、それを聞いてびっくりし、すぐさま14年前のことを思い出した。彼は「まさか彼女が本当に、自分が下僕に殺すように命じたあの女の子ではあるまい」と思い、緊張しながらさらに尋ねた。「その子守というのは目の不自由な婦人でしょうか?」王泰は韋固の顔つきが変わったのを見て、「その通りです。でも、どうして知っているのですか?」と問い返した。韋固はあの老人の予言がその通りになったのを知って、本当に驚き、しばらく言葉も出なかった。落ち着いてから、彼は王泰に、14年前のあの夜のことを一部始終漏らさずに話した。王泰もそれを聞いてとても驚いた。韋固はこれではっと悟った。「あの老人の話は冗談などではなかったんだ。天意には背けない。男女の縁組みは本当に神が決めるものだったんだ」。そこで、娘と韋固の二人はこの縁をいっそう大事にして、幸せで相思相愛の生活を送った。

 やがて、この話が宋城まで伝わり、当地の人は月下老人を記念して、南の宿屋を「定婚店」(婚約宿)と名前を変え、赤い糸を結ぶ老人を「月下老人」と呼ぶようになった。そして、「赤い糸」と言えば婚姻のことを指すようになったのである。

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