多芸多才のミケランジェロ

2006年08月10日 12時50分
 【大紀元日本8月10日】イタリアルネサンス期の彫刻家・画家・建築家

 ミケランジェロ(1475-1564)は、イタリアルネサンス期の著名な彫刻家で、画家、建築家でもあった。彼は、70年余りに及ぶ創作活動で、数々の苦難を経ながらも、数多くのすばらしい作品を生み出し、人類の文明に不朽の1ページを残した。

 ミケランジェロは、フィレンツェの近くのカプレーゼの貴族の家に生まれた。6歳の時に母が亡くなり、石工の娘が乳母となった。そのため、彼は幼いころから石工の気質を持っており、後に偉大な彫刻家として生涯大理石と縁を結ぶことになるのである。

 ミケランジェロは、少年時代から芸術を愛した。彼はまず、当時フィレンツェで有名な画家ドメニコ・ギルランダイオに絵画を学び、後にロレンツォ・デ・メディチの指導の下、彫刻を学んだ。その時、メディチ家の大量の芸術作品に接し、彼は大いに見聞を広めることになった。彼は16歳の時に最初の彫刻作品「階段の聖母」を完成し、その才能は先生や支援者に広く認められた。

 その後1496年に、ミケランジェロは憧れのローマにやってくると、しばらくして、「サン・ピエトロのピエタ」を創作した。これは、亡くなったキリストが母の膝に横たわり、母は憂いと慈しみをもって息子を見ている構図の彫刻作品であり、見る人に悲哀と優美の感覚を与えた。この作品は、展示されるとすぐ、ローマ全体にセンセーションを巻き起こし、人々は、これが20歳そこそこの新鋭彫刻家の作品だとは誰も思わなかった。

 ローマでミケランジェロは、古代の大芸術家たちの作品に接し、技芸をいっそう向上させ、1501年春、再びフィレンツェに戻ると、彫刻「ダビデ像」を創作した。

 
「ダビデ像」

「ダビデ像」はミケランジェロの出世作とも言える作品で、「旧約聖書」の神話に題材を取っている。古代イスラエルのダビデ王は、少年時代羊飼いであった。敵と戦う兵士たちのために前線へ食事を届けに行った際、凶暴な巨人ゴリアテが暴れているのに出くわし、危機一髪のところで、ダビデは投石器でゴリアテを殺したのである。ミケランジェロはダビデを壮健な青年に作り上げた。表情はきりりとし、眼はきらきらと輝き、わずかにうつむきながら横目で前方を睨みつけている。左手には肩に掛けた投石ベルトを握り、いつでも敵に打撃を与えられるよう準備しているかのようであり、この彫刻から、正義の戦士の何者をも恐れない勇気と力が強く感じられる。

 およそ3年の歳月を費やしたこの彫像は、ほぼ完全無欠の領域に達しており、ミケランジェロはこれによって一躍有名になった。

神の啓示を受けた宗教画 晩年は建築に

 1508年、ミケランジェロは、フィレンツェでの名声によって、ローマ教皇ユリウス2世から、システィーナ礼拝堂の天井に絵を描くように言われた。彼は絵を得意とせず、しぶしぶ承諾したのだが、4年間にわたる上を向いたままの苦しい作業を経て完成したこの絵は、はからずも後に彼の生涯の最高傑作となった。

 
「創世記」の9場面のひとつ、「アダムの創造」

この天井画の面積はおよそ500平方メートルで、美術史上最大の壁画の一つである。ミケランジェロは礼拝堂の中央部分に足場を組み、9場面の大小異なる宗教画「創世記」を描いた。いずれも「聖書」の天地創造からノアの箱舟までの話を題材に取ったもので、その中でも「アダムの創造」が一際すばらしい。アダムはちょうど眠りから覚めたように、だるそうに斜めに構えているが、若く壮健な体は、理想的な美に満ちあふれ、生気がみなぎっている。アダムが伸ばした手の先には、彼に生命を与えようとしている神の手がある。この神の指と人の指の触れ合いが画面全体の焦点となっており、「創世記」全体の象徴でもある。ただ、意味深長なことに、ミケランジェロは、その2本の指を今にもくっつきそうでいて、くっつけておらず、よって未だ神の奇跡も生まれていない。そのわずかな距離が永遠の期待を表し、人々に永遠の想像の余地を残したのである。

 天井画が完成した翌年、ミケランジェロは、新教皇レオ10世の命を受けて、ユリウス2世の墓廟のために3体の大理石の彫像を作った。その1つが有名な「モーセ像」で、フィレンツェの彫塑性とローマの空間性がその1体の中に調和良く込められており、大きな成功を収めた。そのほかの2体は「奴隷像」で、やはりミケランジェロの彫塑作品の中での最高傑作の一つと言える。

 1536年、ミケランジェロは、教皇パウルス3世の依頼で、システィーナ礼拝堂の祭壇背後に壁画を描くことになる。これがかの有名な巨大壁画「最後の審判」である。

 「聖書」では、世界の終末が訪れるとき、キリストが最後の審判を下し、善悪によって人々の最後の行き先を決める。画面中央のキリストは、右手を挙げて正に最後の裁断を下そうとしている。

 ミケランジェロは、6年近くの歳月をかけてこの絵を完成させた。足場から落ちて足を骨折したこともあったが、頑強な意思でこの壮大な傑作を完成させたのである。

 晩年のミケランジェロは、ローマに住み、亡くなるまでの最後の20年は、サン・ピエトロ大聖堂の設計と建築を担当した。ユリウス2世当時のプランを元に一人で全てを設計しなおす等、絶大な情熱を注いだが、1564年2月18日、大ドームの基部付近まで工事が進んだところで、作業場でその生涯を閉じた。89歳であった。

(明慧ネットより)


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