【伝統文化】よい教育者とは

2006/07/14 07:23
 【大紀元日本7月14日】梁元帝の時代、ある士人がいた。士人は、小さい時から非常な才能に溢れていたため、父親から寵愛を受けたが、良き教育を受けていなかった。士人の言い出す話にちょっとでも理があると、その父は絶えず彼を褒め称え、年から年中他の人の前で自慢話を繰り返した。逆に士人が少しでも間違ったことをすれば、その父はさまざまな方法で過ちを覆い隠し、その子の代わりにいろいろな言い訳をしていた。その後、士人が成長していくにつれ、良くない品行はますます悪くなり、粗暴で傲慢になっていた。士人はついに、言葉を慎まず、殺害されてしまった。

 『顔氏家訓』によると、良き教育を施すことができない人は、悪意をもってその子を罪悪の中に陥れようとしているのではなく、ただ子を戒めることや子が傷つくのを見るのが忍びないだけであるという。しかし、もし我が子が病を患ったとしたら、薬を飲ませ、治療するではないか?子供を溺愛するあまり、しつけを放棄した親達は、つまり子供が病気になったのに、薬が苦いからといって子供に飲ませないのと同じではなかろうか?

 親が我が子をただひたすら溺愛するだけで、しつけを施さなければ、却ってその子を害することになるのだ。

 古語に、「慈母敗子(じぼはいし)」という言葉がある。子に甘い母親には、甘ったれの子が育つという意味だ。母親がもし、我が子を溺愛するだけで教育を施さなければ、その子は悪人となり、最終的には懲罰を受け、自らを滅ぼしてしまう。その子を滅ぼしたのは他人ではなく、まさにその生みの母である。古今東西、このような事例はあまりにも多い。

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