THE EPOCH TIMES

≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(36)「帰国の望みが断たれて…」

2008年05月31日 11時21分

 そんなとき、私はよく薄暗い自分の部屋で考えました。養母が私にこんなにも酷い仕打ちをするのなら、いっそのこと、ここを離れた方がいいのではないかしら?しかし、いったいどこへ行けばいいのか、誰を頼ればいいのか?親戚はいないし、友だちもいない。当時の私には、中国には身を寄せるところが全くなかったのです。

 私は困難の中にあって堪えられなくなったとき、いつも自分に問いかけました。お母さんは本当に死んでしまったのかしら?私は、お母さんはまだ生きているので、この家で、私を日本に連れて帰るために迎えに来てくれるのを待っておかなければならない。だから、私は自分勝手にこの「家」を離れることができないと考えました。私はそんなふうに考え、待ち望んでいたのです。

 もしかしたら、母はそのときすでに死んでいたのかもしれません。ただ誰一人として母の消息をはっきりとは知らなかったのです。

 1946年の秋、道の北側の独立した棟に既に引っ越して落ち着いていた頃のことでした。私は毎日朝ご飯を食べると、お碗を洗い、おしめを洗いました。養母は食事を済ませると毎日、子供を抱いて外出し、私に留守番をするように言いました。ときには、子守りもさせられました。

 ある日、養母は私に子供を背負わせ、一人で外出しました。私は、弟の煥国を背負って、おしめを洗っていました。手にまだウンチが一杯付いていたとき、突然、養母が外から気ぜわしく入って来て、私の背中から煥国を下ろし、私を小さな薄暗い部屋へ連れて行きました。そして、私を米びつの中に押し込めたのです。

 私は外で何が起こったのか、どうして私を米びつに入れたのか、わかりませんでしたが、聞くこともできません。ただ言われるままに米櫃の中でうづくまっていました。養母はさらに、「声を出したら駄目。出てきても駄目。言うことを聞かないと殴り殺すからね」と警告しました。養母は米びつに蓋をすると、その上に私の枕と布団のたぐいを載せて重しにしました。

私はかすかに人の話し声が耳に入りました

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