THE EPOCH TIMES

<在日中国人の目> 柵を乗り越える中国人と線1本で並ぶ日本人

2010年05月10日 05時00分
 【大紀元日本5月10日】在日中国人はいつも何かと肩身の狭い思いをしている。15年前に初めて日本に来た時は、お金の価値の違いに驚き、経済的に肩身の狭い思いをした。その後、中国の大都市が発展しその差も縮まったように見うけられたが、今度は中国人の犯罪が日本で社会問題になり、メディアにも度々取り上げられた。さらに、毒餃子事件に食品農薬問題、最近では万博のPRソングのパクリ問題をきっかけに、中国のパクリ大国の実態がまたもや取り沙汰される…。そのホットな万博と言えば、今や各国のパビリオンの中身よりも中国人のマナーの悪さが世の中の注目の的となっている。罵り合いや奪い合い、傍若無人の割り込み、中国で育った自分でも目を覆いたくなることばかりだ。

 何も万博だからの割り込みではない。中国では「列のある所には割り込みがある」と言っても過言ではない。4、5歳の頃に経験した「割り込まれ事件」は今でも記憶に新しい。70年代の中国では肉や魚が貴重で、売店に食料品が入るや否や皆が集まってくる。ある日、とても新鮮な魚の入荷があったと聞きつけた親は私と兄をお使いに行かせた。長い列だった。一番後ろに並んだ私達を尻目に、1人、また1人と列に割り込んでいくのではないか。割り込まれた人から罵声が上がり、列も乱れ出した。そんな大人達は大きな魚を次々と買って帰り、やっと私たちの番となった。「ごめんね、売り切れちゃった」と店の人の一言にガックリと肩を落とした兄と私は、空っぽのバケツを下げて帰った。「そんな時に黙って突っ立っている人なんかいるものか」と親にも怒られてしまった。

 誤解しないでほしい。私の親は決して特別ひどい親だというのではない。むしろインテリであり、その店も大学構内の店で、買いに行く人たちも皆大学の先生かその家族だった。取りに行かないと、取られてしまう。そんな「苦い」経験は誰もが皆持っているのだ。物が足りない、チャンスがない。平等なんてそんな甘っちょろいものはない。誰も自分を守ってくれないのだから、自分でそれを取りに行くしかない。そんな危機感の中を生きてきた人々は、たとえ平行棒のような高い柵があっても、ヒョイっと乗り越え割り込んで行く。そして、実際に危機が迫っていない時でも、体に深く根付いてしまった悪い習慣が、思わず顔をだし同じ行動を取らせてしまうのだ。

 日本で生活するには余分なエネルギーはいらない。地面に書かれた1本の線に従って人々は大人しく並んで行く。ほしいなら、早く行って並べばいい。早く並んだ人にはチャンスが保証される。成熟した高度な社会ならではの暗黙の了解。平等な社会から生まれた平等な意識、そこから生まれた全員がマナーを守ろうとする自覚。そして、それはまた少数のマナーを守らない人への牽制となり、社会全体が良性循環する。中国社会がここまで来るためには、まだまだ遠い道のりを歩まなければならない。

 科学が大好きで、愛知万博をこよなく愛した息子に「夏休みに上海万博に行く?」と試しに聞いてみたら「いやだ」とあっさり断られてしまった。「ごちゃごちゃしそうだもん」。日本育ちの彼はすっかり日本という居心地のいい「ぬるま湯」に慣れてしまったようだ。たまには「冷水」にでも浸らせてやりたい気分だ。「冷水」や「氷水」の厳しさを知らないと「ぬるま湯」の幸せにも気づかないからだ。

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