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金無怠は周恩来に認められ、中共のスパイとして40年近く活動したが、中共は金の逮捕後、あっさりと金を切り捨ててしまった=写真は、1972年、訪中したニクソン米大統領を周恩来首相が北京空港で迎えるところ(AFP)

中共のスーパースパイ・金無怠の末路  

 【大紀元日本6月20日】1985年、中国国家安全部対米国情報工作の当時の総責任者、北米情報司の司長、外事局の主任だった兪強生は、米国に政治亡命した。後に、兪強生氏が提供した証拠で、米国の情報機関に41年間在籍していた中国当局のスパイ・金無怠(Larry WuTai Chin)の正体が初めて割れ、このことが当時世界を震撼させるニュースとなった。動かぬ証拠を前に、金無怠は中国当局のスパイであることを認め、後に、中国当局に対し、旧ソ連のように人質交換し、自分を救出するよう助けを求めた。一方、中国当局は、「金無怠スパイ事件は事実無根で、米国の反中国勢力が捏造したことである」などと完全否定した。41年間忠誠を誓った中国当局に見放された金無怠は最後に絶望し、米国の刑務所で自殺し、自ら命を絶った。享年63歳。彼に33年間付き添った台湾人妻は彼の身元が割れるまでに、夫は中国のスパイであることを知らなかったという。

 米国に政治亡命した兪強生の父親は、中国共産党の最高指導部のメンバーで、共産党の政権確立後、天津市の初任市長を務めた黄敬(本名、兪啓威)。その母親の範瑾も、北京市副市長や共産党機関紙「北京日報」の社長などを務めていた。1960年代から始まった「文化大革命」で、両親がともに「粛清」の対象となり、迫害を受け、父親が死亡、母親も危うく命を落とすところだった。兪強生が米国に政治亡命する動機は不明だが、両親が受けた迫害と関連していると見られる。

 この中共の北米情報司司長が1985年、金無怠の対米スパイ活動の証拠などを持って、米国政府に亡命した。その直後に、FBI(米国連邦調査局)が金無怠を逮捕、中国当局のスパイとして起訴した。

 金無怠が1922年北京生まれで、燕京大学新聞学部を卒業、1938年に駐上海米国領事館の通訳となり、1944年に当時の周恩来・首相に認められ、中共のスパイとなった。1949年、米国駐香港の総領事館に転勤、1952年に米国中央情報局(CIA)に配属され、沖縄でCIAの対外国ラジオ情報機構に在籍していた。そのときに、金無怠が当時の台湾の人気アナウンサー周謹予と結婚し、1965年に米国国籍を取得した。1981年に定年退職するまでに、金無怠がCIAの「頼れる」中国通として、米国東アジア政策研究室の主任などを歴任、米国政府の対中国政策の制定に研究報告を提供していた。退職後に、仕事の「功績」が評価され、CIAの表彰までに受けた、1985年にスパイの身分が割れるまでCIAの顧問を務め続けた。

 兪強生が米国に提供した証拠には、金無怠が中国国家安全局での略称や通信証拠などが含まれている。これらの証拠を前に、金無怠が中共のスパイであることを認め、一部の情報提供を自供した。一説では、金無怠が非常に優れたスパイ素質の持ち主で、数十年間のスパイ生涯において、一度すら失敗しなかった。逮捕されるまでに、数十年間共に生活してきた台湾人妻は、夫は中国当局のスパイであることにまったく気づかなかったという。また、「中国当局側でも、このスーパースパイが提供した米国情報に触れられる幹部はわずか数十人しかいない上、金無怠の本当の姿を知る人はなおさら少ない。兪強生のような中共の情報局の高官から本件が明かされなければ、恐らく真相は永遠に闇に包まれたであろう」との説もある。

 当時、中国当局の最高指導部の高官・兪強生が米国に亡命したことよりも、米国CIAのエリート幹部が中国当局のスパイであることが、世界に強い衝撃を与えた。

 中国のスパイと認めた後、1986年2月、米国裁判所は金無怠に対し17の罪が成立と判定した。一方、金無怠本人が中国当局に対し、旧ソ連が米国と情報部員の人質交換をしたように助けを求めた。その間に、中国語新聞の取材を受けた際に、彼は、中国当局に監禁されている民主活動家・魏京生氏との身柄交換を望んでいると明らかにした。しかし、最後の助け舟を求めている金無怠に対し、中国外交部の当時の報道官・李肇星氏は記者会見で、「金無怠事件は、米国の反中国勢力が捏造した寸劇。中国政府は従来から平和を愛するため、米国に一切スパイを派遣していない。中国政府はこの事件を絶対に認めない。この自称中国スパイである金無怠という人物をまったく知らない」と完全否定し、突き放した。

 米国裁判所の最終判決が下される直前の2月21日、金無怠は完全に絶望し、米国バージニア州の刑務所で、ビニール袋を頭に被せ、靴紐で首を絞め、自殺した。63歳だった。中国当局のスーパースパイは、このよう形で人生の幕を閉じた。

 当時の米国陪審団が、金無怠のスパイ活動の内容は主に以下であると結論付けた。

 ①朝鮮戦争中に、国連通訳の身分を利用して、中国当局に捕虜の収監場所を知らせ、米国の作戦計画を遅らせることに成功。

 ②1960年代、中国当局に米国の対中国政策の情報を提供し、米中両国の外交交渉において、中国に優位な立場に立たせた。特に、米中が外交関係を回復する過程において、彼は当時のニクソン米国大統領が中国との国交回復を望んでいるとの情報を掴み、中国当局に流した。結果、米国が中国当局との関連交渉中に、多くの重大な譲歩が引き出された。

 ③ベトナム戦争期間中に、中国とベトナム両国に米国政府の対べトナム政策などを知らせた。戦争の発動や、戦争の終結などの情報も含まれている。

 金無怠スパイ事件を通して、米国CIAは、国家安全上、中国の直接かつ現実的な脅威を認識した。金無怠は事件発覚後、CIAの安全管理が非常に緩んでおり、機密情報を得るのにそれほど難しくないと語ったという。また、金無怠が取調べで一貫としてスパイ活動の詳細内容を自供しなかったため、本案件による被害規模や中国当局のスパイ手段は依然外部に知られていない。一部では、金無怠スパイ事件が米国にもたらした損失は計り知れない、その影響はそれまでに判明したスパイ案件の総計を超えているとの認識もある。

 2005年、中国駐シドニー領事館の政治参事・陳用林氏が豪州政府に政治亡命した。陳氏が提供した資料や証言によると、中国当局は豪州を含め、世界各国に厖大なスパイ・ネットワークを構築した。豪州だけでも、千人以上の工作員がいるという。同年、豪州で庇護申請をした天津国家安全局(中国当局の情報機構)の元幹部、●鳳軍(ハオ・フォンジュン)氏も、公で同様なことを証言した。(●…赤+おおざと)

 金無怠スパイ事件は、当事者となる国々やスパイ本人に、中国のために長年身を捧げた者をあっさりと切り捨てる中国共産党の本質を認識させる一つの典型的な事例であると言える。

 (07/06/20 08:24)  





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