【評論】NHK「中国激動 怒れる民をどう収めるか」を見て 中共に期待することの限界

2013年06月29日 14時28分
【大紀元日本6月29日】6月16日、NHKスペシャル「中国激動 怒れる民をどう収めるか」が放送された。番組の副題は「密着 紛争仲裁請負人」である。

 その副題のように、中国の地方政府と民衆との間に入って、対立する両者の仲裁に奮闘する、ある民間人にスポットを当てて作られている。現地取材した映像が主で、ドキュメンタリーとして手間をかけた仕上がりになっている点は評価してよい。しかし、問題の根幹となっている本質的な部分にどれだけ迫ることができたかというと、やはり隔靴掻痒の感を免れない。本稿は、このNHK番組で、何が描かれ、何が描かれていなかったかについて検証する。

 中国報道の難しさ

 可視的な部分だけをみて、中国の実状を正確に把握することはできない。特に中国報道の場合は、取材の段階からその困難さを認識しておかないと、メディアが視聴者や読者をミスリードする危険性をもつ。

 一般論として言うならば、映像を主な伝達手段とするテレビは、国民の日常生活に溶け込んだ有効な媒体である。しかし、そうであるからこそ、先述した「中国報道の危険性」を、番組を提供する側が努めて自覚すべきであろう。 

 NHKスペシャルのホームページによると、同番組の内容は次の通りである。

 「3月の全人代・全国人民代表大会で、習近平氏を新たな国家主席に選出し、向こう10年間の国の舵取りを担う新体制が本格的に始動した中国。習近平氏は、演説で『中国の夢』という言葉を何度も繰り返し、引き続き安定した経済成長と 国民の生活を向上させることを訴えた。しかし今、この21世紀の超大国は、成熟期を迎えたがゆえの課題にも直面している。経済発展の一方で貧富の格差が広がり、地方では役人による腐敗や汚職が絶えず、民衆の不満が高まっているのだ。中国政府は、大規模な予算をあてて、人々の不満を緩和しようと懸命に取り組んでいる。新生中国は、各地で高まる民衆の不満を解消し、更なる成長を続けることができるのか。激動の中で模索が続けられる中国の今を描く」

 役人のすさまじい腐敗と汚職、民衆の生活権を脅かしてでも強引にすすめられる土地開発。それらがまねくのが大規模な抗議活動であるが、民衆の側も往々にして興奮状態となり、秩序だった理性的な抗議にはならない。畢竟、警察や武装警察による、力の鎮圧に至ってしまう。

 そうしてみると、実情は、「中国政府は、大規模な予算をあてて、人々の不満を緩和しようと懸命に取り組んでいる」という番組の前宣伝とはかけ離れて、中国当局の無策と不誠実さが目立つ。

 番組冒頭の映像は、中国国内で年間20万件に上るといわれる、民衆によるデモや暴動の生々しい実態であった。警察車両をひっくりかえし、ガラスを破壊しながら市庁舎に乱入して、地方政府の役人に謝罪と撤回を迫る大群衆。暴徒といってもよい民衆のふるまいは、日本人の目にはあまりにも異常にみえる。しかし、それが今の中国がかかえる現実であることは確かだろう。

 撮らせる側の意図

 そうした現状をふまえて番組が伝えるレポートの舞台は、北京から南へ約700キロのところにある江蘇省潅雲県だった。

 人口百万人をかかえるその地方政府の役人は、「地方は土地開発でしか業績を上げられない」と述べ、強引な土地開発もやむをえないと主張する。

 そのような役人の本音(この部分についてはウソではなく本音だろうが)を引き出しているNHKの取材は、一見すると、評価に値するようにも見える。

 しかし、このような場合、中国側の思惑は必ず重層的であることを忘れてはならない。

 当然ながら、外国のテレビに取材を許可した以上、そこには「撮らせてやる」という中国側の計算がある。撮らせることによって中国側は、例えば「情報を隠さずオープンにしている」「問題解決は容易ではないが、誠実に取り組もうとしている」などという姿勢をアピールすることができる。そうした時に、体制そのものに対する海外からの批判の幾分かは薄められる、と考えても不思議ではない。

 近年、都市に隣接する農村部の開発が急速に進み、次々に新しい商業施設や住宅地となっている。その場合、共産主義体制下の中国では土地は国有であるとはいえ、十分な補償もなく、もとの住民を追い出して開発を進めようとする地方政府と開発業者の結託が普遍的に存在する。

 そこには、中央政府から厳しいノルマ達成を求められる地方政府、党員として個人の業績が問われる組織の体質、手段を選ばず開発を進めようとする業者と官員との癒着など、すさまじいほど泥にまみれた悪しき関係があることは想像に難くない。しかし、NHKの同番組は、今ひとつそこまで切り込んではいないのである。

 紛争仲裁請負人の役割 

 ここに「紛争仲裁請負人」とよばれる人物が登場する。周鴻陵氏というその人は、かつて89年の六四天安門事件の当時、民主化を求めて活動する学生運動家だったという。その経験をふまえて、暴力ではなく、双方の話し合いで問題を解決する道を探るためにこの仕事をしているという。

 映像でみる限り、わるい人ではなさそうだが、それでも、画面を見ながら、どうしても腑に落ちないものを感じてしまう。

 地方政府と住民の間に立って紛争を解決する民間団体の周氏を、今回わざわざ北京からよんで依頼したのは、なんとか早く開発を進めたい潅雲県の地方政府だった。暴力ではなく話し合いで解決したい、という趣旨に一応は賛同するとしても、住民をさっさと排除したい地方政府の思惑に変わりはない。そこに住民の権利保護の思考は一切なく、あるのはただ無策無能な地方政府の実態のみである。

 紛争仲裁請負人である周氏は、確かに双方の間に立って話し合いで収めようとするのだが、その目指すところは、中国社会に普遍的に存在する問題への根本的な解決ではなく、「住民が納得すればよい」という、言わば妥協的な落としどころでしかない。

 もちろん周氏には、その方法の限界が分かっており、それで社会の不条理を正したことにはならないことも承知の上だろう。そのことを周氏の力不足だと責めることはできないが、依頼した側である地方政府の思惑にも従って住民との話し合いに臨むという点では、権力に利用されている側面は否定できない。

 それが仲裁請負人の役割であるとするならば、暴力による流血の事態は避けたとしても、体制そのものが慢性的にもつ病根は、むしろ温存したまま黙認することにもなる。

 このNHKスペシャルをみた日本の視聴者は、どう思うだろうか。

 「暴力による衝突を避けるため、こんなに尽力する人もいる」「中国政府の側も、話し合いで問題を解決しようとしている」「周さんのような人がもっと活躍して、住民が納得する補償が得られればいい」などという近視眼的な感想をもったとすれば、番組を提供したNHKは視聴者をミスリードしたと言わざるを得ない。

 現体制が中国共産党の支配によるものであるかぎり、一切の期待は禁物である。

 暴力革命を肯定するのでは、もちろんない。ただ、再度言うが、NHKに取材を許可して映像を撮らせた中共は、非常にしたたかであるということも忘れてはならない。

 日本の視聴者は、「周さんに頑張ってほしい」などとほだされることなく、その元凶をよく見極めてほしい。それが一視聴者として番組をみた率直な感想である。

 
(牧)
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