魚も沈むほどの美女 西施

2006年12月23日 11時23分
 【大紀元日本12月23日】「沈魚落雁,閉月羞花」。これは、中国で美人を形容するのに使われることわざであるが、元々は中国古代の四大美人である西施(せいし)、王昭君、貂蝉(ちょうせん)、楊貴妃を指したものであり、そのうち「沈魚」とは西施のことである。

 西施は、姓を施、名を夷光と言い、春秋戦国時代の浙江に生まれた。当時、浙江の苧蘿山(ちょらさん)には東村と西村があり、村中のほとんど皆が「施」姓であった。夷光は西村に住んでいたことから、「西施」と呼ばれた。

 西施は美貌の持ち主で、浦陽江の岸辺で洗濯をしていると、魚たちが蓮の花のような彼女の美しさに驚いて川底に沈んでしまったと伝えられている。これが、彼女が「沈魚」の美しさを持つと言われる所以である。

 「臥薪嘗胆」の逸話で知られる越国の王・勾践(こうせん)は、呉国の王・夫差(ふさ)に会稽山(かいけいざん)で敗れたあと、屈辱を忍んで生きながら、呉王の警戒心をなくすために、あれこれ手を使って呉王の機嫌をとっていた。色仕掛けもその一つで、勾践は呉王を誘惑しようと、いたるところで美人を探し求めた。そして、ついに、「沈魚」の美貌を持つ西施を探し当てたのである。

 勾践は、西施を連れて帰ると、まずは後宮で礼儀作法や歌舞を習わせ、3年間みっちり教え込んだ後、呉王に献上した。これで呉王の闘志を萎えさせることができると考えたのである。

 西施を献上された呉王は、仙女が俗世に降りてきたと思ったほどに、西施の美貌に驚いた。呉国の丞相・伍子胥(ごししょ)が側で、「殷王朝が妲己(だっき)のために滅び、周王朝が褒姒(ほうじ)のために滅んだように、美女は国を滅ぼしてしまいます。大王はこの献上を決して受けてはなりません」と忠告したが、呉王は全く聞く耳を持たなかった。

 案の定、呉王はそれ以来、西施の美貌に溺れ、姑蘇城に「春宵宮」を造ると、毎晩そこで西施と過ごすようになった。その上、西施のためにわざわざ踊り場も造った。西施がそこで木製の下駄を履いて、細い腰を揺らしながら軽やかに舞うと、呉王は完全に酔いしれ、魂を抜かれたようになった。呉王は、このように闘志が萎え、朝政を疎かにしたことから、みんなに背かれ、見放されてしまい、ついには、越王・勾践に滅ぼされてしまった。

 西施は、このようにして、生まれつきの美貌で、勾践の越国復興の大業を助け、大いに功績があったのだが、使命を終えた後どうなったのか定かではない。勾践の大臣・範蠡(はんれい)と五湖に舟を浮かべていたとも伝えられるが、それも伝説に過ぎない。

 李白に、西施の一生を描いた五言詩「西施」がある。ここに紹介しよう。

 西施越溪女(西施は越国の谷間に住む女性で、)
 出自苧蘿山(苧蘿山の出身。)
 秀色掩今古(彼女の美貌は古今それを超える者はなく、)
 荷花羞玉顔(蓮の花も彼女の玉のような容貌に恥じるほどだった。)
 浣紗弄碧水(彼女は川辺で薄絹を洗い、青い水をもてあそび、)
 自与清波閑(清らかな波とともに静かに過ごしていた。)
 皓歯信難開(貧しさゆえに、白い歯を見せて笑うこともなく、)
 沈吟碧雲間(碧雲の間に愁い沈んでいた。)
 勾践征絶艶(勾践が絶世の美女である西施を探し出した。)
 揚蛾入呉関(彼女は眉を揚げて堂々と呉国に入り、)
 提携館娃宮(呉王は彼女のために館娃宮を造った。)
 杳渺詎可攀(彼女の奥深さは誰も真似ることができず、)
 一破夫差国(その美しさに呉王夫差は惑い、呉国は滅んだが、)
 千秋竟不還(彼女はいつまでも帰ってくることはなかった。)

(文・挿絵とも、平平)


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