THE EPOCH TIMES

年越し、そして爆竹の由来

2010年02月11日 05時00分
 【大紀元日本2月11日】

 ≪爆竹を鳴らす風習≫

 中国では、旧正月の際に爆竹を鳴らす風習がある。大晦日の夜になると、家々は爆竹を鳴らし、正月ムードを一気に最高潮に押し上げ、人々は爆竹の音を聞きながら、思わず笑顔を見せ、素晴らしい一年のスタートを切ったという心境になる。

 爆竹を鳴らさなければ、お正月ではないと言われるほど、爆竹を鳴らすことはもう中国の旧正月の伝統的な景観の一つとなっている。

 年越しの食事をする前に、人々はよく爆竹を鳴らすが、これを「閉門爆竹」と言う。大晦日の子の刻(23~1時)に、人々は一年でもっとも激しい爆竹を鳴らし、鬼払いをすると同時に新年を迎える。そして、元日の朝、朝食をする前にも爆竹を鳴らすが、これは「開門爆竹」と呼ばれる。

 大きな爆竹を続けて3個鳴らすことを「連中三元」(昔の科挙の試験で卿試、会試、殿試の首席を続けてとったという、めでたい意)と言い、4個鳴らすことを「福、禄、寿、喜」と言い、6個鳴らすことを「六六大順」(六は禄に通じるので、順風満帆の意)、100連発の爆竹を鳴らすことを「百子爆」(あらゆる事業ももうかるという意)と言い、爆発した爆竹の屑で真っ赤になった玄関を「満地金銭」(金銭が地に満ちる)と言われる。

 唐と宋の時から、爆竹を鳴らす習慣がもう民間で定着していたが、後になると、お正月の時に厄払いをするために爆竹を鳴らすことだけ限らず、結婚式や着工式など祝いごとがある際にも爆竹を鳴らすのである。

 ≪怪獣「年」を追い払う≫

 それでは、中国人は、何時から爆竹を鳴し、その由緒は何だっただろうか。

 爆竹は中国で2千年あまりの歴史があり、当初は鬼払いするものとして使われていたという。

 伝説によると、昔々、「年」という恐ろしい獰猛な怪物がいた。「年」は一年中海底に住んでいるが、大晦日にだけ、上陸して家畜や人間を襲うのであった。それで、大晦日になると、人々はみな山の中へ非難していったという。

 ある年、人々がみんな慌てて避難しているところへ、ある白いひげの老人が村を訪れ、あるお婆さんに「もし、わしをお宅に一晩泊めてもらえれば、怪獣「年」をきっと追い払うことができる」と願った。

 老人の言ったことを信じない人々は急いで避難するよう、その老人に勧めたが、老人はどうしても一晩泊めていただきたいと願うばかりであった。それで、人々は山へ避難し、村にはただその老人だけが残された。

 まもなく、怪獣「年」は現れ、例年のように村に入ろうとしたが、突然、村の中から爆竹を鳴らす音が伝わってきた。さすがの「年」もたいへん驚き、体を震わせて前へ進めなくなった。なんと、この「年」は轟音、火、赤色を怖がるものだったのである。

 爆竹の音とともに、玄関は大きく開かれ、赤い長衣を身に纏っている老人が庭に立ってはっはっーと笑っているではないか。これを見て、「年」はたいへん慌てて一目散に逃げて行った。それからというもの、「年」は二度と姿を現すことはなかった。

 翌日、人々は山から帰ってきた。無事だった老人を見て、みんなはっと思いついた。もしかして、この白いひげの老人は「年」退治するためにやってきた神様ではないのか。そして、人々は老人から「年」退治の3神器も得たのである。

 それ以来、毎年の大晦日に、人々は灯籠などを灯し、赤い服を着たり赤いもの(春聯や紙細工など)を張ったりし、そして爆竹を鳴らして「年」を追い払うようになった。この風習は代々伝えられ、いつの間にか、もっとも重要な祝日「過年」として定着してきた。大晦日の夜、人々が眠らず通夜する風習は今でも続いているが、これも「年」を追い払う伝説に由来したものである。

 ≪史書に記載されている爆竹≫

 上記の爆竹についての伝説は、史書にも記されている。漢・東方朔著『神異経』には次のような記述がある。西の深山には「山魈」という妖怪がおり、人間に悪寒と発熱の病を患わせることができるものだった。だが、この「山魈」が火、音を怖がるので、人々は竹を焚き火に入れて焼いて竹の節の破裂により大きい音を出させて、「山魈」を追い払っていた。これは、資料で見られる爆竹についての最初の記述である。

 六朝になると、正月の際に爆竹を鳴らす習慣がもうできていた。宗懍著『荊楚歳時記』には、こう記されている。「正月一日は、三元の日なり。『史記』では端月と謂う。鶏が鳴けば人起きて、先ず前庭にて爆竹を鳴らし、草を燃やして悪鬼を追い払う」これは後の「開門爆竹」の由緒だったようである。

 唐の初期、疫病が広がっていた。李田という人がおり、彼は硝石を竹の中に注ぎ入れて燃やしていた。それで、竹の破裂音はより大きくなったし、煙霧もさらに濃くなったので、山から漂ってきた穢れの気を追い散らし、疫病の蔓延を食い止めることに成功したという。これはおそらく、硝石で爆発させる爆竹の原型だっただろう。

 宋の時、爆竹は竹の代わりに紙と麻を使うようになり、そしていくつかのものを一つに編んで、「編砲」と言い、今の「鞭砲」の原型であった。

 爆竹の歴史について、『通俗編排優』にも記述がある。「古の爆竹は、みな竹を燃やして鳴らした。それゆえ、唐の人は詩の中でも爆竿と謂う。後人、紙を巻いて作るが、これを爆竹と謂う」

(翻訳編集・小林)


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