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掛谷英紀コラム

東日本大震災から9年 「3.11」の教訓

2020年03月11日 07時00分
2011年3月19日、岩手県陸前高田市で、大地震と津波を受けて倒壊した建物を見つめる若い姉弟(GettyImages)

東日本大震災から今日で9年になる。新型コロナウイルス問題で、残念ながら追悼行事は中止になってしまった。こんなときだからこそ、東日本大震災が残した教訓を振り返りたい。そこには、今我々が直面している危機とどう立ち向かうかを考える上でのヒントも多く隠されている。

最初に、私が個人的に体験したことを紹介しよう。震災当日、私は大学の研究室にいた。大学が震源に比較的近かったこともあり、水道管の破裂、長期間の停電、実験機器の損傷など深刻な被害を受けた。大学は停電で真っ暗となったため留まることができず、電車も全く動かなかった。幸い、駅周辺は電気が通っていたので、駅前のホテルのロビーで一夜を過ごすことになった。そのホテルは帰宅難民にロビーを解放し、翌朝には無料で炊き出しまでしてくれた。

数日後、本数は少ないが電車が動くようになったので、壊れた装置の後片付けのため、大学に通い続けていた。春休み中で、大学は閑散としており、電車やバスに乗っている人もほとんどいなかった。ところが、福島第一原発建屋爆発後の夜は、いつもはガラガラのバスが、スーツケースを抱えた留学生で超満員となった。

もちろん、私はその留学生たちを責めるつもりは全くない。日本人が海外で同じ目に遭えば、同じように振舞うであろう。しかし、コスモポリタニズムを唱える言論人たちは反省を要するはずだ。左翼は地球市民という言葉が好きであるが、ある国が危機に陥れば、その国の国民は留まって戦い、外国人は逃げる。私が目にした光景は、地球市民という理想の空虚さを示すのに十分すぎる説得力を持つものだった。

危機においてこそ、人間の本性が現れる。震災・原発事故で目立ったのは、学歴エリートである政治家・官僚・医師・企業経営者・マスコミ・評論家・学者等の自己保身である。東京電力の当時の社長は、最も大事な時に病院に雲隠れした。医師や有名評論家の中にも、関東から逃げ出す人がいた。

それとは対照的だったのが、一般の日本人に根付いた公共心・秩序・助け合い・思いやりなどの高邁な精神である。特に、原発作業員、消防士(レスキュー隊)、自衛隊員、警察官、消防団員、地元自治体公務員の働きは凄まじいものであった。ちょうど公開されたばかりの映画「Fukushima 50」には、原発作業員たちの勇敢な働きが描かれている。その原作「死の淵を見た男」(門田隆将著)には、私も大いに感銘を受けた。その一方で、隊員たちが命令に背いて逃げたという捏造報道を、後日大々的に行った大手新聞があったことを忘れてはならない。

福島第一原発で冷却水の注入任務に当たった東京都消防庁のレスキュー隊の活躍も特筆すべきものがある。任務を終えた後の記者会見で、「一番大変だったことは?」と聞かれた冨岡豊彦総括隊長(当時)が「隊員ですね。隊員は非常に士気が高いので、みんな一生懸命やってくれました。残された家族には本当に申し訳ない。この場でお詫びとお礼を申し上げたい。」と涙ながらに答えたのが印象的だった。また、当時の石原都知事は、帰隊した隊員たちに深々と頭を下げて「本当にありがとうございました」と涙声で語った。

自衛隊も、ヘリコプターからの冷却水投下という非常に危険な任務を行った。ところが、この任務を命じた首相が隊員たちに直接感謝の言葉をかけたという話は聞かない。スペインは、福島第一原発事故に対応した消防・警察・自衛隊関係者に対して皇太子賞を授与したが、当時の日本政府は現場で危機を食い止めた人々に対して何の表彰もしていない。命を懸けて自国民のために働いた人々に対して、感謝の気持ちすら表すことができない政治家を選挙で国会に送り込んだのは我々国民である。そのことは決して忘れてはならない。

東日本大震災は、日本に大きな傷跡を残したが、事前の備えが被害を防いだ防災の成功事例も少なくない。そういうところにも、日本人の現場力の高さを垣間見ることができる。

震災当日、東京スカイツリーは工事の最終段階で、タワークレーンで最上部を建設している最中であった。地震に対して最も脆弱な状態であったといえる。しかし、タワークレーンに制振用のダンパーを取り付けていたため、地震の大きな揺れにも拘らず、大きな被害を免れることができた。ごく短期間の工程に対しても、こうした大地震に備えた対策をしていたことは特筆すべきものがある。

岩手県の普代村では高さ15メートルの普代村宇留部水門・太田名部防潮堤が村を守った。生前、この建設に尽力したのが、長く村長を務めた和村幸徳である。本当に偉大な政治家は、その功績が死後評価されるのかもしれない。また、宮城県の仙台東部道路は、その盛土構造が防潮堤の役割を果たし、市街の中心部への津波流入を食い止めた。その発案に関わったのが東北大学の今村文彦教授である。

津波対策の成功事例を語る上で外せないのが、東北電力の女川原発である。津波対策として建屋の敷地高さを約15メートルの高さに嵩上げして建設されていたため、津波の難を免れることができたのは有名な話である。しかし、対策はそれだけではなかった。津波は高波だけでなく引き波もある。引き波になれば冷却水の確保ができなくなる。それを考慮し、引き波時にも冷却水が残るような設計がなされており、それが東日本大震災のときにも機能した。

過去の資料を調べると、女川原発の原子炉設置許可申請書には、立地条件から「津波」を明示的に示し、9ページにわたり評価の結果が記述されている。一方、ほぼ同時期に設置許可申請がなされた東京電力福島原発や中部電力浜岡原発では、「波高」等についての記述は1ページにも満たないものであった。

また、東北電力元副社長の平井弥之助氏をはじめ、設置許可申請当時の原子力関係技術管理職名簿には、東北大学や仙台高等工業学校の卒業生など、東北出身者と思われる人が多い。福島原発や浜岡原発の名簿に東京大学出身者が多いのとは対照的である。後世にまで責任をもつ仕事は、学歴エリートではなく、郷土愛を持つ地元出身の技術者によってなされると解釈することも可能であろう。

ノモンハンで日本軍と戦いソ連を勝利に導いたジューコフ元帥は、日本兵と現場指揮官を高く評価する一方、日本の高級将校を酷評した。それから約80年経ったが、日本の体質は何一つ変わっていないように思う。新型コロナウイルス問題も、マスコミに登場するエリートは文句ばかり言っているが、今のところ日本は他の国に比べて対応がうまくいっているように見える。これも、自衛隊や病院で働く医療関係者など、最前線の現場で働く人々の能力の高さに負うところが大きいのではないか。

私は日本で優秀なリーダーが育たないのは、現場が優秀過ぎてそれに甘えてしまうのも一因なのではないかと推察している。だから、我々が選ぶべきリーダーは、危機の最中に現場へ出向いて混乱を招く人ではなく、現場で働く人々を裏から支え、その働きに感謝することができる人ではないかと思う。我々に求められるのは、選挙でそういう素養を持つ政治家を見抜く眼である。


執筆者:掛谷英紀

筑波大学システム情報系准教授。1993年東京大学理学部生物化学科卒業。1998年東京大学大学院工学系研究科先端学際工学専攻博士課程修了。博士(工学)。通信総合研究所(現・情報通信研究機構)研究員を経て、現職。専門はメディア工学。特定非営利活動法人言論責任保証協会代表理事。著書に『学問とは何か』(大学教育出版)、『学者のウソ』(ソフトバンク新書)、『「先見力」の授業』(かんき出版)など。

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