THE EPOCH TIMES

【ショート・エッセイ】アオザイと微笑みの国へ

2010年08月15日 07時00分
 【大紀元日本8月15日】ホーチミン市となった今は、もちろん平和な町になった。最近そこへ行ってきた知人の話によると、道路にはバイクや自転車があふれ、活気に満ちていたという。

 それでもサイゴンという旧名が、今も頭から抜けないでいる。政治的な意味ではもちろんない。世界地図を眺めるのが好きだった小学生の頃から「ベトナムは南北に分かれていた」という地図上の印象と、ニュース速報で飛び込んできた「サイゴン陥落」の強烈な記憶が、35年を経た今も残っているからなのだ。

 ミュージカル「ミス・サイゴン」のクライマックスでは、凄まじい爆音とともにステージ上にヘリコプターが降下してくる。サイゴンに最後まで残っていた米国人をあわてて飲み込んだヘリコプターは、手に証明書を持ち、金網ごしに助けを求めて叫ぶ群集を見捨てて、逃げるように飛び去るのである。

 ミュージカルとは別に、実際の歴史の舞台ではまだ続きがあった。上空で待つ次のヘリコプターの着陸場所を空けるために、救出した米国人を沖合いの空母まで運んだヘリを大勢で押して、そのまま艦上から海へ投棄したのだ。この時、海中へ捨てたヘリコプターは45機だったという。

 75年4月30日、すなわち米国人の総脱出が行われた翌日、サイゴン陥落。世界最強の米国は、初めて負けた。しかも、後ろ盾がどの国であれ、木の葉のような小国に惨敗したことが、その後の米国を長らく病ませた。

 ベトナムもまた、78年にはカンボジアでポルポト軍と戦い、79年には国境を越えて侵攻する中国軍と戦火を交えるなど、国の復興を引き止めるような硝煙のにおいが続いた。ベトナムの人々が本当に安らかな時間を持てたのは、おそらく最近の20年ほどであったろう。

 政治の是非を論ずることは本文の目的ではない。微笑みの国と言われるベトナム本来の静かな魅力を、この日本から想像したいだけなのだ。

 目を閉じると、白いアオザイに身を包んだ清楚な女子学生の姿が浮かんできた。その両親や祖父母は、あるいは筆舌に尽くし難い悲しみを経験してきたのかも知れないが、それと同じ悲しみを彼女の胸に突き刺してはならないと心から思う。

 私たち日本人もまた、この時期には同様の祈りを奉げているからだ。

 
(埼玉S)


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