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伊達政宗(ウィキペディアより)

【漢詩の楽しみ】 遣興吟(けんきょうぎん)

 【大紀元日本5月2日】

馬上少年過
時平白髪多
残躯天所許
不楽復如何

 馬上、少年過ぐ。時(とき)平らかにして白髪多し。残躯は天の許す所。楽しまずして復(ま)た如何(いかん)せん。

 詩に云う。常に馬上にあって戦場を駆けた若い日々は、もはや遠く過ぎ去ってしまった。太平の世となった今では、私もずいぶん白髪の目立つ齢になったものだ。残されたこの老躯は、まあ天が私に許し与えたものであろう。ならば余生を楽しく送らないでどうするか。

 伊達政宗(1567~1636)は米沢の生まれ。幼少の頃、疱瘡のため隻眼となったが、東北の覇者として乱世を生き抜き、徳川時代に入って仙台藩の開祖となる。

 学問より力がものを言った戦国武将のなかで、政宗の教養は例外的に高かった。和歌にも造詣が深かったばかりか、よく知られた彼のこの漢詩も、典故をふまえ、韻や平仄も整えられた秀作となっている。

 「遣興吟」とは、心に湧き起こる思いを詩に吟じてはらす、というような意味であろう。 

 さて、晩年の独眼竜の胸中に湧き起こった「思い」とは何か。少年というと子供のようだが、漢語では少(わか)い年、つまり青年期の若者を指す。ただ政宗は、まだ子供といってもよい年齢の15歳で初陣を飾り、18歳で伊達家の家督を継いだ。その父・輝宗は41歳の壮年であったが、継嗣を政宗に決めたのを機に隠居した。政宗の武将としての器を見抜き、早々と嫡男に託すことで家運を賭けたものと見られる。

 しかし、秀吉や家康などの立役者が中央で天下を競っている間、次世代に属する政宗はずっと奥州にあり、周辺国との間で熾烈な切り取り合戦を行ってきた。その結果、政宗の存在感は決して小さくはなかったが、彼が天下人の候補に上がることはついになかった。

 伊達政宗の魅力は、むしろ彼の晩年にあったのかも知れない。

 詩の結句は、陶淵明の詩「読山海経」の最終句「俯仰終宇宙、不楽復如何」からとっている。俯仰とは、あおむくこととうつむくことの意で、短い時間を指す。山海経(せんがいきょう)という不思議な神仙の書物を読んでいると、あっという間に無限の宇宙を巡りつくしたようだ、これを楽しまなくてどうする、というのだ。

 陶淵明のその言葉の通り、政宗は余生を趣味人として楽しんだ。能楽、料理、美食と、なかなか本格的だったらしい。

 政宗はまた、藩主として領内の開発にも努めた。運河整備や治水などにより仙台平野を日本有数の米どころにするとともに、石巻港の建設によって、北上川を運ばれてきた東北の米が、東廻り航路で大量に江戸へ届けられたのである。

 この世には客として参った。そう遺訓にも残した伊達政宗の辞世の句は、「曇りなき心の月を先だてて浮世の闇を照らしてぞ行く」であった。

 「仙台さま」として今も絶大な人気をもつ政宗公は、史上最大の苦難の中にある東北地方で、再び浮世の闇を照らそうとしている。

(聡)


 (11/05/02 07:00)  





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漢詩の楽しみ  伊達政宗  仙台  米沢  陶淵明  山海経  


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