乙女への挽歌『子守学校』(1)

2007年02月10日 09時39分
 【大紀元日本2月10日】

江戸の子守唄(東京)

ねんねんころりよ おころりよ
坊やはよい子だ ねんねしな
ねんねの子守は どこへ行った
あの山こえて 里へ行った
里のお土産(みや)に 何もろった
でんでん太鼓に 笙の笛
おきゃがりこぼしに 振り鼓(づつみ)
おきゃがりこぼしに 振り鼓(づつみ)


 明治・大正・昭和初期にかけて、子守たちの唄声が日本のお空に輝いていました。江戸の子守唄は「寝かせ唄」のヒットソングです。子守りをする「守り子」たちの思いが、ふつふつと伝わってきます。乳幼児をあやして寝かしつけながら、子守の思いはいつも山を越えて里へと向かいます。そしてでんでん太鼓と笙の笛が、山と里を絶えず行き来する思いを運びます。それはまるでちょうど、あやす子の眠りと目覚めのリズムをなぞって、子守の思いの振幅が唄われているかのようです。

 山と里があり、子守りたちの踏み固めた道があります。泣く子と遊んでなだめる子守りの大変さは、子育てをしたことのない人にはピンときません。陽の当たる坂を上ることとは別の辛抱強さと温もりを、心の底に宿していなければ子守りを全うすることはできません。子守りに仕えた少女たちはそれをやり遂げ、沢山の子守唄を創り出してくれました。日本の故郷をたどり継承するヒントを、子守唄から汲み取ることができます。

 シャドーワーク(家事など給金に換算されない仕事)の担い手として、子守りに明け暮れる少女達に、日の光が当たる時代がやってきます。1883年(明治16) 茨城県猿島郡小山村に、渡辺嘉重さんが日本最初の子守学校を開きました。学童が連れてきた乳幼児の面倒を、教育者の観点から引き受けたのです。託児所が日本に誕生する魁(さきがけ)となった試みでした。その後明治・大正を通じて41都道府県に子守学校が行き渡ります。

 シリーズの次回では『子守学校』を追って、子守り唄のゆりかごの中から日本の「託児所や保育所」が生まれてくる時代のドラマを辿ります。

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