心に響く一篇:お母さんの愛

2007年08月12日 13時42分
 【大紀元日本8月12日】中国河北省のある小学校で、「感謝教育」活動が行われ、3年生の担任の先生が子供たちに、「両親への感謝」というテーマで作文を書くように言った。ある女の子の書いた「お母さんの愛」と題した作文がとても感動的だったので、先生はクラスのみんなの前で読んで聞かせた。


お母さんの愛

 お母さんは私のことをとても愛してくれています。私を健康で明るい子に育てたいと思ったために、もう少しで命を落とすところでした。

 お母さんは法輪功の修煉をしています。私が生まれる前からしていたそうです。お母さんは、そのころは法輪功を修煉する人はとても多くて、『轉法輪』はいろんな新聞でベストセラー書として紹介されたと言っていました。お母さんは今でも、「北京青年報」と「北京晩報」に載っていた、『轉法輪』をベストセラー書として紹介する記事の切抜きを持っています。

 しばらくして、政府が法輪功の修煉を禁止しました。私が1歳半の時以来、お母さんは何度も留置場や刑務所に入れられました。私はお父さんとおばあちゃんと3人だけで暮らすしか仕方ありませんでした。お母さんのおっぱいを飲むのに慣れていた私は、哺乳瓶のゴムの乳首が嫌いで、ミルクを飲みませんでした。お腹をすかしてワーワー泣く私を見て、お父さんとおばあちゃんは焦るばかりで、どうしていいかわかりませんでした。そんなとき、お父さんはいつも、私を抱いて、ただただ涙を流すだけでした。

 お母さんは留置場に1年半、強制労働収容所に2年間監禁されました。お母さんが帰った来たときには、私はちょうど幼稚園に上がったところでした。お母さんは毎日、私を幼稚園まで送り迎えしてくれました。ある日、私はお母さんに「お魚さんが、水の中で泳いでる、一人ぼっちで寂しそう」と歌ってあげました。私はまだ幼なかったので、「一人ぼっちで」が正しく発音できませんでした。お母さんはやっとのことで私が歌っている歌詞の意味がわかると、おかしくて笑い出しました。私も一緒に笑いました。お母さんと一緒に暮らせる毎日はとても幸せでした。

 ところが、いいことは長続きしないもので、お母さんはまた、強制労働収容所に監禁されてしまいました。今回は、私のために、お母さんはただ耐えるだけではありませんでした。お母さんは収容所の警官にきっぱりとこう言ったのです。「娘はわずか1歳半のときに私と引き離されました。母親がそばにいなかったので、あの子は臆病で、ひねくれて、気が弱くなりました。娘が健康で明るい子に育つために、私は何があっても家へ帰らなければなりません。あなたたちも母親でしょう?どうか分かってください」。

 お母さんは断食で抗議しました。まるまる10日間です。収容所はお母さんに鼻から管を通し、食べ物を流し込みました。警官はわざと、お母さんのお腹に濃い塩水をたくさん注ぎ込みました。塩水が鼻と口から外へ溢れ出るほどでした。お母さんはお腹が張って痛くて、ベッドの上で転げまわり、一晩中眠れませんでした。お母さんを痛めつけるため、収容所の警官は鼻に通した管を抜くことを許しませんでした。お母さんは、口で息をするしかなく、喉も口もからからに渇いて、裂けて血が出てきました。

 ついには、お母さんの血圧、脈、体温がほとんどなくなりました。お母さんが収容所で死んだら責任を取るのが怖いので、収容所はお母さんが生きているうちに家へ帰すことにしました。

 私はお父さんと一緒にお母さんを迎えに行きました。お母さんは痩せこけて皮と骨だけになっていました。かすかに息をしているお母さんは私を見ると、干からびた口を開けて微笑みました。

 やっとお母さんが戻ってきました。やっとまた、お母さんと一緒に生活できるようになったのです。

(明慧ネットより)


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