THE EPOCH TIMES

≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(39)「あわや井戸の中へ」

2008年06月18日 00時00分

 私の家は王喜蘭の屋敷の西の棟にありました。棟と棟は繋がっていましたが、それぞれに仕切られた庭がありました。私の家は、西の端だったので、隣には家がなく、したがって中庭は大きなものでした。

 ここに引っ越してから、すぐに冬がやってきました。私は毎日のように、我が家からずいぶん離れた西のほとりにある井戸へ水を汲みに行かなければなりませんでした。一度に汲みすぎると運べないので、少しずつ、一日に何度も往復しなければなりませんでした。

 私が最も苦痛に感じたのは、タマゴ石溝開拓団の洋式の井戸と違って、ここの井戸には水を汲み上げるための設備もなければ、桶を引揚げるロープもなかったことです。それなのに、井戸は深く、井戸の口は円形で、その口は開けっぴろげになっており、そこには蓋もありませんでした。

 水を汲む人は、ロープをくくりつけた小さな桶を自分で持ってきて、水を汲み上げては大きな桶に移し、溜まったらそれを担いでいきました。ただ、冬になると、井戸口の周りは凍ってずいぶん小高くなった上、口がますます小さくなり、小さな桶が入らなくなることもありました。

 小さな桶を降ろして、深い井戸の中で桶に水を入れるとき、いつも苦労しました。慣れている人は、井戸の中に下ろしたロープを一振りすれば桶に水が一杯溜まりますが、私の場合は、何回も振ってもなかなか水が溜まりませんでした。

 それに、桶の水が多すぎると、重いし滑って上に引っ張り上げるのに苦労しましたし、少なすぎると、何度も汲み上げなければなりませんでした。

 また、井戸の口が凍って小さくなり、桶がやっと入るくらいのときには、水で一杯の桶を力いっぱい引っ張り揚げる際に、桶がとば口に引っかかってロープが切れ、桶が井戸の底に落ちてしまうことがありました。そうなると、養母に見つからないように、こっそりとカギ型の引っ掛け具の付いた道具を借りて引き揚げなければなりませんでした。

 そういうときは、私はよく前の棟の王冬蘭の家にその道具を借りに行きました。王冬蘭は私と同じ年で、彼女の家には何でもありました。彼女の家の引っ掛け具の付いた道具は使いやすかったのですが、それでも、桶を引き揚げるのは時間がかかり、いつまでも引き揚げられないと、養母に怒られ殴られました。

 冬場、凍ってずいぶん小高くなった井戸口で水を汲む際、しばらく立っていると、靴が氷に張り付いてしまいます。ですから、水を汲み上げて足を動かそうとすると、足が靴から脱げて裸足で氷の上を踏むことになります。そうなると、足が凍って感覚がなくなってしまいます。

 どうにか水を汲み上げても、今度は下に下ろすのが大変です。うっかりすると、小高くなった井戸口から滑り転げてしまいます。そうなると、痛いだけでなく、せっかく汲み上げた桶の水が全部ひっくり返ってしまい、水しぶきがかかって全身凍てついてしまいます。さらに、もちろん、再び井戸口に上がって水を汲みなおさなければなりませんでした。

私は毎日このような重労働を繰り返しましたが

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