ロシアのマエストロ、ロストロポービッチ逝去

2007年05月01日 10時43分
 【大紀元日本5月1日】世界的なチェリスト・指揮者として名声を博したロシアのマエストロ・ロストロポービッチ氏(80)が27日、癌のためモスクワ市内の病院で亡くなった。同氏はまた生前、反体制作家であったソルジェニーツィン氏らを擁護し、旧クレムリン当局と対立、国内民主化の闘士としての一面も際立った人物だった。

 同氏の訃報を聞きつけた現ロシア大統領のプーチン氏は、「ロシアにとって偉大な才能の損失だ。優秀なチェリスト、指揮者であっただけでなく、国内人権の擁護者でもあった」と深い哀悼の意を表明した。同氏の葬儀は、23日に急逝したエリツィン大統領と同じく、モスクワ市内の救世主キリスト教会で執り行われ、遺体も同じくノボティビッチ修道院墓地に29日埋葬された。

 同氏は、1927年に旧ソ連のバクーで生まれ、実父からチェロの手ほどきを受け、天賦の才能にも恵まれ上達、数多くの国際コンクールで優勝して名声を博した。プロコフィエフやショスタコービッチといった著名作曲家とも親交が深く、過去に楽曲を提供されたことも幸運につながった。日本とのつながりは、世界的な指揮者として知られる小沢征璽氏との親交で、幾度となく訪日して演奏している。

 旧ソ連体制に反対した運動家としての一面では、1970年にソルジェニーツィン氏を弁護する書簡を「プラウダ」に投書してから当局の監視対象となった。その後、夫人でソプラノ歌手であったビシュネスカヤさんを連れ家族ぐるみで西側に亡命し成功、国際的な名声を博した。

 1989年「ベルリンの壁」崩壊後に、ゴルバチョフ大統領体制下になって名誉が回復しロシア本国に帰国、1991年8月の政変では、議会派を退けて民主化を進めようとするエリツィン氏を支援、晩年ではロシア、フランス、米国の間を往復する生活になった。

 2002年にBBCのインタビューを受け、プラウダの一件を聞かれた際には、「音楽には(これでいいという)最高点はない。しかし、あの一件はまさに乾坤一擲だった・・・あの時以来、私の意識はまったく冷静になり明晰になった」と自らの決断が正しかったとの自信を覗かせた。近年では、音楽家の立場からモスクワ当局のチェチェン介入に反対するなど、ロシアの民主化に果たした功績はその音楽的業績とともに内外から高く評価されていた。著名なチェリストであるジュリアン・ロイド・ウェバー氏が、「絶好調時のロストロポービッチ氏は、演奏前からスタンディング・オベーションが鳴り止まず、まるで人間磁石のようだった」と述懐しているように、同氏の音楽はその高潔な魂が奏でる人間賛歌だったのかもしれない。

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