書評:柳田国男『こども風土記』

2007年09月19日 00時32分
 【大紀元日本9月19日】こどもは風の子です。風は虫の知らせ=情報を運んできます。こどもは誰もが、風の又三郎です。柳田国男さんにとって、こどもは小さな神様です。小さな神様に言い聞かせる母は、それにもまして偉大な「うば」なのです。

 風が土に降り立って日本全国に花咲かせた、こども文化のあれこれを記したのがこの本です。柳田さんは「人間に永遠の児童があり、不朽の母性があることを認めつつ」(昭和16年の自序に記す)、母といた日の悦楽を老いてしまった現在の私の、永遠のこども心の中に蘇らせたかったのです。

 『こども風土記』は朝日新聞に連載されて反響を呼び、一冊の本にまとめられました。風土記もののお手本となったものでした。「鹿・鹿・角・何本」という、あてもの遊びに始まり、「鹿遊びの分布」の報告で終わっています。

 鹿遊びは、ジャンケンに負けたこどもが馬になり、馬にまたがったこどもが背中を叩いて合図し、片方の何本かの指を上に突き出して馬に当てさせる遊びです。その時に「しかしか何本?」と唱えます。当たると交代していつまでも続けます。何本かに枝分かれしている、鹿の角の数を言い当てるのです。

 当時の東京では「おみやげ・三つに・気がすんだ」という類の、どうしても意味不明な文句を唱えて、友だちの背中を打つことが流行っていたそうです。背中を打って問いを発することには、どのような由来があるのかを考えさせます。柳田さんは・・・「人の背なかを打つということは、そう軽々しい戯れではない。それでも喧嘩にはならぬだけの約束が、かつてはこれを許していたもの」があったはずだと注意を促しています。

 「かごめ かごめ」と歌って後ろの=背中の正面を当てさせる遊戯に、それは連環してゆくもののようです。手をつないで廻るこどもたちの中心に、一人の鬼=「中の中の小仏」がしゃがんでいます。くるくる廻って蓮華の花が開いたりすぼんだりして、「鶴と亀がつーべった(一緒になった?)・・・うしろの正面だあれ」と問いが発せられて、言い当てるのを静かに待ちます。この一瞬の間合いの静寂に、童言葉(わらわことば)と遊戯の混沌が流し込まれます。柳田さんは・・・「どうしてあのようにいつまでも、おもしろがって続けていけるかと思うほど」だと、その不思議の道を丁寧に尋ねてゆくのです。

 またこうも独白しています・・・「どうしてこのような無心な者の言葉が、きけば身に沁むのかということを考えてみるのもよい。風のない晩秋の黄昏に町を歩いて、『大わた来い来いまま食わしょ まアまがいやなら餅食わしょ』という歌をきいて、涙がこぼれたことも私にはあった」

 『こども風土記』は、こどもたちの世界に畳まれたさらに小さなことに、柳田さんが力を込めて綴ったものです。「老人の記憶にはまた一つもとのこどもがある。言葉がおもしろいために消えてしまうことができなかった」こどもの<本心>を、風のない晩秋の黄昏に涙したことのある人は、この本で発見する事ができるでしょう。

(槇)

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