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国共(国民党と中共)内戦の当時、国民党軍の中将であり、作戦次長(作戦参謀に相当)として蒋介石の絶大な信任を得ていた郭汝瑰。彼は、中国共産党の大物スパイだった。

中共の大物スパイ、悲惨な結末
蒋介石の側近で国民党軍の中将だった郭汝瑰

 【大紀元日本2月17日】中国共産党は結党以来、多くの人を犠牲にし、略奪しながら権力を固めてきた。一方、2004年に本紙で発表されたシリーズ社説『中国共産党についての9つの論評』をきっかけに目覚めた多くの中国人が、中国共産党とその傘下の団体(共産主義青年団、少年先鋒隊)から脱退し、同党の足元を揺るがせている。中国人たちが「脱党」(Tui Tang)と呼ぶこの脱退運動を行った人の数は、今年1月の時点で既に8700万人に達した。同党の本質を暴くために、そしていまだに同党の手先となって善良な市民を弾圧する人たちが改心することを願って、過去に同党のスパイとして活躍した男の悲惨な末路を紹介する。

 1945年、第2次世界大戦が終結すると、中国共産党(以下中共)は国民党政府を転覆させるための内戦に突入した。3年間の熾烈な戦いの末、中共は国民党を台湾へと追いやった。

 結論から言えば、国民党は決して中共の軍隊に負けたのではない。国民党は、中共軍という外部からの敵に加え、国民党内部の敵、いわゆる「中共が忍びこませたスパイ」の妨害工作によって崩れたのだ。その中でも国民党の軍事情報を絶えず流していた国軍(国民党軍)の中将・郭汝瑰(グォ・ルグイ)は、まさに大物スパイだった。

 毛沢東はしばしば、「胸の中に百万の雄兵がいる」と言ったというが、一説によると、毛沢東の胸には郭汝瑰一人が50万人分を占めていたという。郭汝瑰から情報を得ていた毛沢東にとって、相手の作戦は「明らかなること掌を指すがごとし」だったのである。

 郭汝瑰は1907年、四川省で生まれた。黄埔軍官学校を卒業し、日本へ留学。留学する前、彼はひそかに共産党に加入していた。帰国後、彼は中国共産党が抗日に参与しないことに不満を抱き、日本軍と戦うために国民党に加入した。1937年、郭汝瑰は42旅団、旅団長として淞沪大戦に参加し、蒋介石から絶大な信任を得た後は、国民党内でエリート軍人の待遇を受ける。

 一方、郭汝瑰が有名になり始めると、中共はしばしば人を派遣して彼の勧誘に当たった。「国民党は腐敗し、マルクス・レーニン主義だけが中国を救うことができる」と説得に当たった。ひっきりなしの懐柔策に、郭汝瑰は共産党が言う「全人類の解放、大同世界」をもう一度夢見るようになった。

 その後、郭汝瑰は共産党の初期メンバーの一人だった董必武と数回会い、中共のスパイになった。彼の突然の決断については、郭汝瑰が当初から中国共産党員だったからだとする指摘もある。

 中共のスパイになった後も依然として蒋介石からの信任を得ていた郭汝瑰は、国共内戦中に直接作戦を指揮する国防部の作戦庁長に昇進した。定期的に蒋介石の官邸に出入りしながら戦闘状況を報告し、命令を受けた。彼は、国民党のすべての作戦計画を手に取るように把握していた。数々の極秘情報が、郭汝瑰から毛沢東へと送られた。

 郭汝瑰は軍事機密を漏らすばかりでなく、国民党軍に被害を与えるようなでたらめの作戦命令を下した。また、多くの偽情報を流し、蒋介石が作戦中に判断を誤るよう誘導することもした。

 中共に包囲され、捕虜となった国民党の杜聿明将軍は郭汝瑰を疑い、「あなたは、明らかに共産党のスパイだ。あなたのすべての命令は、私たちを中共軍の包囲網へ誘導するものだった」と非難した。

 また、郭汝瑰は意図的に国民党軍の内部で混乱を起こし、兵士たちを動揺させた。1947年3月に起きた退役将校400人による組織改編への反発は、郭汝瑰が制定した方案により触発されたものだった。

 郭汝瑰の諜報活動により、国軍は行く先々で包囲され、最終的に蒋介石は台湾へ追い出される結果となった。

 蒋介石は台湾に上陸した後、「郭汝瑰が中共の最大のスパイだとは想像もできなかった」と述べたという。また、台湾のある新聞は、「一人のスパイが隠れ潜んで天下をなぶると、両軍の勝負はすでに決まってしまう」と痛烈に批判した。

 しかし、それほど「大きな功績」を立てた郭汝瑰は、1949年に中国共産党が政権を樹立した後、冷や飯を食わされる。用心深い毛沢東は郭汝瑰を起用せず、四川省の交通庁長席へ追いやった。翌年、「反革命分子を厳しく弾圧せよ」という毛沢東の号令により起きた鎮反運動で「国民党のスパイ」とみなされた郭汝瑰は、その席まで奪われることになる。

 その後郭汝瑰は粛反運動、反右派闘争、文化大革命など共産党が運動を繰り広げるたびに弾圧対象に分類され、労働改造(強制労働)、批判、家宅捜索などを受け、袋叩きにされた。

 苦しい日々を送った郭汝瑰は1978年、71歳になってようやく中国共産党から平反(無実の罪をすすぐという意味)を受け、「国民党のスパイではなく、中国共産党に加入することに同意する」という説明を聞くことができた。

 郭汝瑰は1997年、交通事故で死去。享年90歳。彼の子供たちは父親を次のように評価している。「彼は軍事面では大学生だったが、政治面においては、小学生に過ぎなかった」

 中共の甘い理想に引きずりこまれた郭汝瑰は、自分を一番信頼してくれた上官を裏切り、自分が最も忠誠を尽くした党からは捨てられるという皮肉な運命をたどったのである。

 (翻訳編集・清泉)


 (11/02/17 07:00)  





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郭汝瑰  スパイ  国民党  


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