新年の物語ー-餃子の話

2005年02月16日 16時52分

餃子は悠久な歴史を持つ食べ物であり、昔から中国人に好まれている。中国人の間では“餃子の右に出る程美味しいものはない”という俗語があり、新年ともなれば、餃子はさらになくてはならないご馳走となるのである。

三国の魏の人である張揖着が書いた「広雅」によれば、当時三日月のような形で“餛飩”という現在の餃子と似たような食べ物があったようである。南北の時代になると、“雲呑は半月形で、天下共通の食べ物”という言い方があった。推測によると、当時の餃子は湯から取り出して調味料を付けてから食べるわけではなく、湯と一緒に混ぜながら食べていたようである。ゆえに“餛(混)飩”と名づけられた。このような食べ方はわが国の一部の地域においても流行しており、たとえば、河南省と陜西省では湯に中国パセリ、ネギのみじん切り、殻付きの乾燥小エビやニラなどをいれて湯と一緒に餃子を食べる。

唐の時代になると、餃子は現在の餃子とまったく同じようになり、食べ方も湯から取り出し調味料をつけてから食べるようになった。

宋の時代になると、餃子は“角児”と呼ばれ、これが餃子の呼び方の源である。“角児”という名前はその後の元、明、清などの時代にも使われていた。

元の時代では餃子を“扁食”と呼び、明の万歴の時代、沈榜の「宛署雑記」に“元旦に新年の挨拶をし、・・・匾食を作る”という文が書かれている。劉若愚の「酌中志」に“正月一日は元旦であり、・・・果物、点心、即ち“匾食”を食べる”という文が書かれている。元と明の時代の“匾食”の“匾”は現在の“扁”となった。“扁食”という書き方はモンゴル語から由来しているのかもしれない。

清の時代になると、“餃児、水点心、餑餑をゆでる”などの餃子に関する新しい言い方が現れた。名前が増えたということは、餃子という食べ物がより多くの地域に受け入れられたことを示している。

中国の民間において、元旦に餃子を食べる習慣は既に明と清の時代に流行が始まった。一般的に人々は大晦日の夜12時前に餃子を作り上げ、12時になると食べ始める。なぜならそれが元旦の始まりだからである。餃子を食べることは“更歳(年の交替)交子”を表しており、子は子の刻(夜12時)を表し、交は餃の近似音であり、“喜び、大団円で万事がめでたく順調”であることを表している。
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