THE EPOCH TIMES

【新連載】英国バイリンガル子育て奮闘記(1)

2009年09月07日 01時26分
 【大紀元日本9月7日】

就学前(1989~1992年)バイリンガル子育ての決断 

 なんの機縁か、英国南西端のケルト系の地、コーンウォール州の片田舎で一人娘アン(仮名)の子育てをすることになった。夫はイギリス人。日本企業は皆無。日本人といえば、国際結婚をした女性が数名。こんな環境で、私は日本語だけ、夫は英語だけを娘に使用するという、バイリンガル子育てが始まった。言語に留まらず、日英の文化の根本的な違いを痛感させられる18年間だった。

 最初に日本語での子育てを決意したのは、生後6週間検診の時。 私が日本人であるのに気付いた小児科医に「今はバイリンガルの研究が多くなされているから、是非日本語で育てて」と促されて、その日から、本人が分かっても分からなくても、とにかく、壁に向かって独り言を言うかのように日本語を語りかけることにした。とは言っても、日常使用している言語ではないし、子供と日本語で話す機会もない。これは日本語でどういうんだろう、と頭を絞る毎日だった。

 バイリンガルというのは、一夜にして作られるわけではない。母親が「りんご」と言ったら父親は「アップゥ」と言うわけで、一つの物体に対して必ず二つの言葉が伴うから、言葉の発達も当然遅れる。他の子供たちが「マミー」「ドリンク」などと明確に意思表示をしているのに対して、うちの子供はまだ「アー」「アー」「ギャー」「ギャー」の状態。1歳を過ぎたころの検診だったと思うが、今度は別の小児科医に一つの言語に絞るように勧められた。「なんでこんなに理解が浅いの?無知なの?」と一人で頭から湯気をたてて検診から帰ってきたことを今でも記憶している。こんな時の支えが、実際に私より1世代前にオランダ語で娘を育てたという地元のオランダ人。「そういう親切な忠告は全部無視するのよ。言葉はでてきますからね。」と落ち着き払った的確なアドバイスをいつも受けていた。バイリンガルで彼女が育てた愛娘は、大学で日本語を専攻し、草分けのトップ通訳者として日本で活躍していたので、私も確信を堅めながら彼女のアドバイスに従った。

 そして何より、地元の人々の太っ腹というか、他人と比較しないでマイペースで育てる個人主義の文化には感心した。「うちの子はまだその段階じゃないから」というのが合言葉のように、いろいろなお母さんの口から出てくる。なるほど、こうして子供にプレッシャーをかけず、のびのびと子育てするのか、と納得はしたものの、私自身は二つの言語環境を作ることでやっきになり、かなりの教育ママになっていたと、今振り返って反省している。

(続く)
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