THE EPOCH TIMES

高智晟著『神とともに戦う』(6)

2009年10月05日 05時00分
 【大紀元日本10月5日】弁護士試験は、極めて苦しいものだった。中国には、「大禹は治水という大事業を成し遂げるまで、決して家に帰らなかった」という言い伝えがある。私は試験前の3ヶ月間、新疆で、ほかの受験生4人と、一泊2元の部屋を共同で借りた。毎日明け方5時まで勉強し、冷水で顔を洗ってから出勤した。あの当時、気持ちが極めて高揚していて、「今年の合格者が1人だけだったら、それは自分だ。自分こそ将来の弁護士だからだ」と思っていた。あの高揚した気持ちが支えとなって、私はその年に合格することができたのである。



 今思うと、随分とドラマチックなことがあった。毎年弁護士試験の前には、弁護士学会の招きでベテラン弁護士が受験生へ講義を行う。94年の補習授業には、500名余りが受講した。若者はライバル心が強いから、私のような低学歴の受験生は、多くの者に見下された。あの日の休み時間、遊んでいる彼らに私は言った。「ある数字を知ったら、そんなに浮かれてはいられない。もし、新疆の受験生が全国レベルと同じだったら、今年この500人の中で合格者はわずかに5人だ」

 その時、ある偉ぶった20才位の大尉クラスの軍官が、私に向かって「高智晟。100人受かったとしても、お前は無理だ」と言い放った。

 当時の私は自尊心が大変もろく、他人の評価を非常に気にしていた。私は相手に向かって行って、服をつかみ「名前は」と尋ねた。

 「方暁波(仮名)だ。何だ。けんかでもする気か」

 私は激しい捨て台詞を吐いた。「方暁波、来年君はここで、僕の授業を受けることになるぞ」。その言葉に、方暁波は呆気(あっけ)に取られていた。そして、私は続けた。「高智晟、この名を覚えておけ。一生忘れられない名前になるはずだ」

 相手も黙ってはいない。「よし。みんなが証人だ。来年、講師といわず、試験に受かりさえすれば、俺はやつを一生先生と呼ぶぜ」

 翌年、私は言葉通り、弁護士試験の受験生へ講義するため教壇に立った。約500~600名の受講生の中に、やはり方暁波の姿もあった。

 私は教壇に上がる時、「方暁波」と叫んだ。

 軍人らしく、「はいっ」と彼は直立した。

 私は「座って下さい。去年我々は、この教室で一緒に勉強しようと約束しましたが、この約束は果たされたようです。ただ今年、我々は向かい合っていますが」と言った。

 この後、我々は友人になった。

 あの講義の効果は、まずまずだった。講義が終わると、方暁波は私のもとに寄り、「高先生、どうやって一気にここまで上り詰めたのですか」と尋ねた。私の答えは、「そんなことでは君は今年も不合格だね。どうして『一気に』だと分かる?『二気』かも知れないし、『百気』かもしれないじゃないか」

 これは事実である。私にとって、それは確かに「一気」ではなかったのだ。

 その年、私はしばしば早起きして、麦畑に向かい、畑の麦を受講生だと思って講義の練習をした。また、時間を見つけては自分を売り込みに行った。ウルムチの冬は、顔の筋肉の感覚がなくなるほど、非常に厳しい。先方のオフィスビルに着くと私は、まず手洗いに向かった。あの当時、まだ貧しかったから薄着だった。だが、手洗いには暖房がある。そこで鏡を見ながら凍った顔がスムーズに話せるまで待って、それから相手のオフィスへと向かったのだ。

 大部分の弁護士は自分を売り込むとなると、裁判官とのコネを強調する。しかし、私にはコネなどない。いつも本音で話した。また、大学や工場、企業、軍隊などで無料の法律講座を47回行った。聴講者数は多い時で数千人にも上った。それらの企業は、後にほとんど私の顧客になった。

 受験生への講義の機会も、こうして勝ち取ったのだ。私は授業の評価についてのアンケートを作って印刷してから、弁護士学会に出向いた。そして、決定権を持つ人に、講義させてくれるよう直談判した。彼らは訝しげに「君は誰だ」と聞いた。私は「去年受講して合格した受験生です。ですから、受験生が必要なものを一番よく知っています。今年は私に講義の機会を下さいませんか。500名の受講者の内、たとえ5人でも私の第1回目の授業が良くないと評価を下したら、私は入り口に立ってすべての受講生から平手打ちに遭ってもかまいません」と答えた。

 これら一切は、誰かとの賭けのためではない。異常な興奮と激しい情熱を抱いて、将来弁護士として向き合うことになる自身の戦いのために、準備をしていたのだ。

 自分でも感動することがある。それは、あの年、私は講義先の会社から一切の謝礼も受け取らなかったことだ。また、彼らからの食事の招待も一切受けなかった。毎回、講義が終わると、少なくとも500~600元はある謝礼を断った。一方で帰宅にはバスを使い、わずかでも節約しようと、1つ2つ手前のバス停で降りた。そして外食は金がなく無理なので、いつも腹を空かせていた。この年は私にとって、実に多くの重大なことが絶えず起こった。これらの出来事により私は、弁才や肝心な場面での落ち着きといった弁護士としての資質が、厳しく鍛えられた。加えて、自分の忍耐力の真価が問われるとともに、弁護士としてのモラルも築かれることとなったのである。

(続く)

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