THE EPOCH TIMES

<中国人ブログ> 日本への憎しみ、なぜ氷解しはじめたのか

2011年03月28日 07時43分
 【大紀元日本3月28日】3月15日、天津市泰達スタジアム。サッカーAFCチャンピオンズリーグ、グループEのガンバ大阪と天津泰達がここで対戦した。試合前、両チームの選手と観衆が、東日本大震災で亡くなった方々へ黙祷を捧げた。

 「10年前では想像できない一幕だ」。国内紙・時代週報の主筆、李鉄さんが自らのブログでこう綴った。「10年前は卑怯な民族主義者らがアメリカの9・11テロを喜んでいた。10年後の今日、彼らがもっとも憎むはずの日本が大震災に苦しんでいるが、人々の態度は10年前と大きく違った。多くの人が日本のために祈り、同じ人間として支援の手を差し伸べ、さらに、日本の美徳を謙虚に見習おうとしている」。李さんは、中国人の日本に対する憎しみが、今回の震災をきっかけに融け始めていると書きつづり、その理由についても分析した。以下はその抄訳である。

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 悲しみと同情と敬意が主流になった

 今回の震災で、日本の救助体制と人々のマナーが、メディアの震災報道の焦点の1つとなった。多くの中国人はインターネットを通じて、震災にひるまない日本の強さと自信に触れることができ、日本の人々が巨大な災難に直面しながらも取り乱すことなく、秩序を守るという高い民度を目の当たりにした。「人類滅亡の日が本当に存在するなら、災害中の日本のようであってほしい」と心から敬服の意を表すネットユーザーもいる。

 もちろん、震災を喜ぶ民族主義者もいなくはない。しかし、彼らを待っているのは多くのユーザーの批判である。「あなたは病気だ。治さなきゃ」はその中の一節だ。

 10年前と比べると、隔世の感を禁じ得ない。あの恐ろしい民族主義の炎はなぜ急に消えつつあるのだろうか。

 「偽・大・空」民族主義の破産

 「偽・大・空」は中国を席巻した民族主義の特徴と言えよう。

 まず「偽」(虚偽性)について話そう。プラトンの洞窟の比喩では、洞窟に閉じ込められた囚人が、外の世界に背を向け、壁に投影された変形した影で外の世界を想像するという。この比喩は「憤青(若い民族主義者)」たちにぴったりだ。彼らが滑稽な「愛国」論理を信じ込んでいるのは、彼らが小さい時からずっと偏った情報と理論に接してきたためだ。

 しかし、ここ数年のインターネットの普及で、洞窟から外の世界に踏み出した人が増え、多くの人は真実の世界が見えた。また、実世界を入念に観察することで、人々はたくさんのことに気づいたのだ。たとえば、いわゆる「我々を滅亡させようとする」帝国主義はただの仮想敵であるに過ぎず、戦後の日本の飛躍は、戦争や略奪で実現したのではなく、人々の懸命な働きと制度の改善によるものだということ。また、日本人も中国人と同じように戦争を嫌い、戦後の日本人は侵略や専制に強い嫌悪感を持っていること。さらに、四川大地震で日本の救助隊が真摯に中国人の命を助け、日本の街角の至るところに募金箱が設置されていたこと、などなど。

 一方で、憤青らが支持した国内ブランドに毒ミルクが出現し、輸入ミルクを飲まなければ、中国の赤ちゃんは飲むミルクがないという事態になっていた。

 憤青らは、強大な政府は強大な国家を意味すると信じ込んでいたが、この2年間で彼らが目の当たりにしたのは「国進民退」という現実である。

 憤青らは、自国企業の発展が彼らの福利につながるとも信じ込んでいたが、しかし、彼らを一番搾取しているのは外国企業ではなく、まさに自国の巨頭たちだという事実にもやっと気付いた。

 このすべてはこの社会の真実の姿である。が、これらとは対照的に、偽りと想像ででっち上げられた仮想敵は一度も姿を現したことがない。それどころか、仮想敵を作り立てた者の汚い意図が見え隠れしている。それはつまり、外部からの脅威を煽ることで内部への批判をかわし、対内搾取の時間稼ぎをするということだ。

 次に「大」について話そう。卑怯な民族主義は往々にして、自らの民族が直面するすべての困難を、一括して他の民族の圧迫のせいにしたがり、外敵でも片付ければ勝利がおのずと手に入るかのように振る舞う。

 しかし、これらの「大きな」目標はことごとく人々の「具体的な」目標で砕かれている。ネット上では、憤青の一言が常に多くの批判の的となっている。いくつか例を見てみよう。

 憤青「アメリカと戦うなら、俺は1カ月の給料で支援する。台湾と戦うなら、俺は全財産で支援する。日本と戦うなら、俺は命で支援する」

 反憤青「街頭の万引きさえも叱責できない民族が、よくも声高々に日本と戦うなんて叫んでいる。生きている同胞にさえ関心の目を向けない民族が、よくも軽々しく亡くなった同胞を忘れないなんて口にする」

 憤青「日本から釣魚島(尖閣諸島)を取り戻そう!」

 反憤青「自分の家も取り壊しから守れないのに、釣魚島を取り戻してどうするの?」

 憤青「日本製品をボイコットしよう!」

 反憤青「私は粗悪製品だけボイコット。メラニン入りミルクはいかが?」

 憤青「日本車に乗る人はみな卑怯者だ。今度見かけたら叩き潰すぞ」

 反憤青「なるほど。軍隊の車はみな日本産の高級車よ。百万元以上の腐敗の産物、1台でも叩き潰してみな。トヨタのSUVの警察車両に、あなた達はツバでも吐けるの?」

 最後は「空」について話そう。「愛国」には「愛すべきもの」が存在しなければ、虚勢を張ることで終わってしまう。ここ数年来はびこってきた民族主義には実は内核がなく、「排外主義」というものがそのすべての使命と特徴になっている。愛国は理由なき尊大となり、「愛国行為」を暴力や武力に訴えることが多かった。

 このような民族主義は短命に決まっている。多くの人は今、愛国は日本を憎むことではなく日本に学ぶこと、地道に文明の進歩を追求することだと自覚したのだ。多くの人はさらに、中国の発展を阻むのは、他の国ではなく、自国の民度の低さであることに気付いた。日本を見る中国人の目は、憎しみから学びの目に変わりはじめている。

(翻訳編集・張凛音)


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