大紀元時報

高智晟著『神とともに戦う』(24)どの案件もはらむ制度問題(2)

2021年04月04日 06時00分


 今日に至るまで、黄偉の訴訟のため、懸命な努力がずっと続いている。私は裁判所に、黄偉の訴状を速達で送った。彼らには「人類文明の理性と人への尊重」という立場で、問題を討議してほしかったからである。そして最後、私はこう結んだ。「もし、貴方が今後も中国国法の有効性を敵と見なし、不法に訴状を受理しないのなら、私どもは『違憲審査』を申請する予定です」

 これと同時に、私は「全国人民代表大会に対する公開状」を送った。当局がその権力によって、この不法に公民の権利と公民の自由を奪っている暴虐行為に介入してほしい。そんな願いを込めたのである。

 1人の弁護士が、ルールや法律の枠外のルートで、当事者の合法的な利益を守ろうとする。このような弁護士の苦しみが、一体誰に理解されるというのだろう。だが、これもやむにやまれぬ選択だ。でなければ、どうすればよいのか。

 今日もある友人に「君はなぜ黄偉の案件を受けたのか」と聞かれた。我が党は一貫して、「実事求是」(訳注、事実に基づいて真実を求めること。原語は清代からあるが、後に毛沢東が政治スローガンとして提唱した)と我々を教育してきたではないか。もし私は何ら案ずるところはない、と言えば嘘になる。不安は絶対にある。

 ほかの事はここで取り上げないが、この1年、関係部門から受けた「親切な交流(呼び出し)」は、全く数え切れないほどだ。弁護士として私は痛いほど分かっている。中国における権力のつかわれ方はゆがんでいるだけでなく、チンピラよりも性質が悪いのだ。いつでも情に任せた判断により、人を投獄してしまう。だが、多くのことは戦いが必要なのだ。

 文化大革命の頃、私のような者はたちまち頭をぶち抜かれたに違いない。ではなぜ今、彼らはそうしようとしないのか。権力者の価値観が変わったとか、彼らに進歩が見られたなどと、勘違いしてはならない。これは全て、人々が文明の闘争によって勝ち得た彼らの譲歩なのだ。時には、この自由の闘争のため多くの命すら犠牲となったために、彼らも譲歩せざるを得なくなったのである。

 法輪功の問題で、もし全ての国民が見て見ぬふりを決め込むのであれば、その恥辱と道義の重荷をいつまで背負うことになるか。もし全ての弁護士が口をつぐむのであれば、将来弁護士はこの問題において、どんな顔で歴史と向き合うというのか。私に自由がある限り、黄偉の案件は闘い続けるつもりだ。

 (続き)
 

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